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ローカル列車で餘部橋梁を行く [鉄道の旅]

冬の山陰雪見旅 2

「特急北近畿最後の冬を行く」 から続きます。

特急「北近畿7号」の城崎温泉到着が14:55。普通列車177D浜坂行が14:57発とわずか2分の接続とあって北近畿の終着駅到着案内が流れる前に席を立ちます。
14:55城崎温泉定時到着。

◆177D(城崎温泉ー浜坂)

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▲佐津で「かにカニはまかぜ」と交換

ドアが開くのを今や遅しと待ち構えると・・・・ドンピシャリ! 目の前にキハ47 2連の177D2両目の前寄りドアが。幸いにして進行右側逆向きながらも窓側の席に着席です。
なぜこれほどまでに席取合戦に執着したかというとこの列車で新・餘部橋梁を渡るからに他なりません。昨年8月に開通した新橋通過は今日のメインテーマ。立ち見となってはいただけません。もちろん「はまかぜ3号」ですんなり通過というのも選択肢ではありましたが、私としてはローカルムード溢れる鈍行列車で通りたかったのです。

エンジン音もけたたましく城崎温泉を発車。先程来の緊張感からも解放されローカル列車の旅が始まります。“ピンポーン”で始まる自動放送が場違いな気がしますが、今や全国共通ローカル線の音ですね。

佐津では特急「かにカニはまかぜ」と行き違います。単に「臨時はまかぜ」では終わらないネーミングに日本海のカニ人気の根強さを感じます。

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▲柴山付近 海が近いので雪は少なめ

佐津に続く柴山も主要なカニの水揚げ港を擁しており多くの民宿が軒を連ねます。さらに香住でもカニ目当ての乗客がどんどん降りていき城崎温泉発車時には立ち客も見られた車内は一転して静かなムードに包まれます。エンジン音をBGMに山陰本線を辿ります。 

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▲どこか惹かれる鎧駅

香住までは入り江に面した町が続きましたが、香住を出ると列車は高度を稼ぎ始めます。そして到着したのが鎧駅。
駅の向こう側遥か下には日本海が広がります。鎧という駅名もどこか曰くありそうで惹かれるものがあります。
そんな鎧駅の上りホームにポツンと建つ待合室の窓には「列車は全て駅舎側ホームから発車します」との張り紙が。線路こそ残っているものの行き違いはできなくなっているようです。

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▲トンネルを抜けると・・・・(後部運転台から)

さて、鎧を出るといよいよ餘部橋梁へと向かいます。
妙な興奮状態にとり付かれ席を立ち後部運転台にかぶり付いてしまいます。苦労して席を取ったのに。
トンネルを2本抜けると一気に視界が開けました。

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▲新・餘部橋梁を通過中

新橋梁は先代の南側に並行するように架けられたため取り付け部にはS字カーブが存在します。なのでトンネルを出ると一気に橋上に躍り出るという感じではありません。加えてエクストラドーズド橋という斜張橋と桁橋の中間のような構造のため低いながらも橋塔やワイヤーが意外と視界を妨げ景色を楽しむ間もなくあれよあれよという間に渡り切ってしまいました。

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▲冬の日本海の表情はかわりません

とはいえ橋の上からはみ出すように列車が走っていた先代と比べ安定感は格段に向上したようです。’86年に発生したような惨事を繰り返すことは許されません。

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▲下り方には先代鉄橋の一部が残されています

私が初めて餘部鉄橋を体験したのは’79年の12月でした。大阪発の夜行急行「だいせん5号」。もちろん深夜の通過でした。餘部の集落にはわずかな街灯と信号機らしき明りが灯っているのみ。そこへトンネルから躍り出た瞬間は空中に飛び出したような感じがしたものでした。30年以上前のことですが、今も鮮明に覚えています。
高校生だったこの頃から一人旅の味を覚え、以来山陰の素朴な風景に惹かれ幾度となく訪れるようになりました。

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▲餘部駅も様子が変わりました

橋の架け替えに伴ってホームの様子も一変した餘部駅に到着。集落からは長い坂道を利用するしかないバリアフリーとは無縁の駅ですが、この列車からは二人が下車しました。

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▲閑散とした車内

15:55、城崎温泉から約1時間で浜坂着。
ここで再び乗り換えねばなりません。学生時代には大阪から鳥取はおろか、米子、出雲市辺りまで鈍行列車の射程距離内でしたが。とはいえ実際の流動を見ているとこま切れダイヤは妥当な選択かなと思います。

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▲浜坂までの177D(右)と浜坂からの539K(左)

浜坂での乗り継ぎは7分接続。5・6人の乗り鉄同業者とともに地下道を通り2番線へと移動します。


◆539K(浜坂ー鳥取)

ここからの539Kは再びキハ47の2連ですが、車体色がタラコ色(首都圏色)に変わります。懐かしいという声も聞きますが、国鉄末期の合理化の産物ともいえるこの色、私はどうも好感が持てません。
さて、539Kを名乗るこの列車。妙な列車番号だなと思って時刻表を見ると平日運転の539Dが土休ダイヤでは539Kとなっているようでした。休日のKでしょうか。

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▲臨時特急とは・・・・

今や骨董品的存在のフラップ式発車標には「3番線 臨時特急」の表示が。
さて、どんな列車がやって来るのでしょうか。

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▲臨時特急「はまかぜ3号」到着

到着したのは大阪駅で見送った「はまかぜ3号」でした。この列車が折り返し「はまかぜ6号」になるという設定。香住ー浜坂間は季節延長のため臨時特急扱いされたようです。情報量に制約のあるフラップ式ならではの仕事ぶりですね。

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▲本日の最終ランナー539K

16:02、鳥取へ向けて発車します。
3駅目の東浜から鳥取県に入り、谷あり海あり砂丘ありと地味ながらも変化に富んだ車窓を楽しめます。

さて、この付近の駅には懐かしい思い出があります。以前にもちらりと触れたことがありますが、学生時代、大学の鉄道研究会に小学館から刊行されるシリーズ本「国鉄全線各駅停車」の取材を手伝うというアルバイトが舞い込み、私は山陰本線城崎(当時)-福部間他の写真撮影と沿線ルポを担当したのでした。アルバイトとはいえ実費支給のみで体よく利用された形ですが、楽しい経験でした。

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▲国鉄全線各駅停車「北陸・山陰」編

列車で通り過ぎる各駅は概ね当時の面影を残していますが、線路の一部が剥がされていたり、ホームの鉄柵が朽ち果てていたりと侘しさが募ります。
福部を発車、対向列車のいるはずもない滝山信号場を通過し16:49、日暮れも近い鳥取着。

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▲ずらりキハ47! 左から智頭行659D、米子行255D、539K

久しぶりの鳥取駅に降り立つとエキサイティングな光景が。キハ47が3本、ずらりと並んで出迎えてくれます。しかもオールタラコ色。国鉄型にノスタルジーを感じる世代にはたまらないひとコマであります。

さきほど、侘しさ募るなんて書きましたが、明るい話題も聞かれます。4月から土曜、休日限定で豊岡ー鳥取間に直通快速列車が運転されることになりました。実験的に6月までの限定とのことですが、実績が好調であれば7月以降も継続されるとか。今回の旅行当時各駅で告知されていた愛称募集も「山陰海岸ジオライナー」に決まったようです。例によってダラダラ長い名称には呆れますが、成功を祈りたいものです。

あまりに暗い鳥取駅コンコースに少々滅入りながら駅前の「スーパーホテル鳥取駅前」に向かいます。
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コメント 16

まるたろう

豊岡~鳥取間に、“臨時快速”ですか。
できれば7月以降も運転してもらい、その時は青春18を利用し、
新しい餘部鉄橋を見てみたいですね。
by まるたろう (2011-04-01 22:47) 

サットン

まるたろうさん

ジオライナー、期間延長されれば18キッパーには喜ばれるでしょうね。豊岡ー浜坂間ってかなりの難所ですから。
車両も一部にキハ126が使われるようで面白そうですよ。
餘部橋梁、次は地上からじっくり見たいものです。
by サットン (2011-04-02 12:03) 

あーちゃん&父

新余部鉄橋(というより橋梁ですね)、まだ渡ったことがありません(^_^;)最後に行ったのが架け替え工事中だったので…
景色が少々見づらくなったのは残念ですが、それでもアクリルの透明柵にしてくれた配慮は嬉しいですね。
旧鉄橋、3脚残して観光客が歩けるようにする、なーんて計画があるみたいですが…どうなることやら。
タラコが並ぶなんて言うのは鳥取では日常ですよwまあプレハブ鈍行キハ126や食パン特急キハ187も来ますが両方とも地元からのお金で作ったというから情けない話です…(^_^;)
鳥取のコンコース、無駄に広いですよね(^_^;)ちょっと奥まったところにある「砂丘そば」が絶品ですよ♪
by あーちゃん&父 (2011-04-02 16:55) 

あおたけ

新・余部橋梁、私はまだ渡ったことがないのですが、
斜張橋のワイヤーや防風壁が意外と目立つものなんですね・・・。
安全性を優先させると仕方ないのでしょうが、ちょっと残念。
タラコ色の勢ぞろいは壮観ですね~。
西日本の単色化はあまり好きにはなれませんが、
このキハに関してはいいですね。
by あおたけ (2011-04-02 17:00) 

飛んでモアイ

未だに新餘部鉄橋を渡っていません。
エーデル車(餘部ロマン号)で渡った事。
旅仲間で餘部鉄橋周辺をウロウロした事。
結構、思い出が有ります。
また新たな思い出を作りに行こうかな?
by 飛んでモアイ (2011-04-03 00:33) 

Cedar

餘部の新しい橋、橋というよりめちゃ高い高架線という感じなのは残念ですね。
何事も地震と結びつけちゃうのはいけないですが、耐震性も強化されているのでしょうね。
by Cedar (2011-04-03 01:10) 

京葉帝都

余部橋梁は新しい橋に切り替わったことにより、強風による運転見合わせは減ったのではないかと思います。
仙山線にも旧余部橋梁のような鉄橋があるのですがこの区間は運転見合わせ中なのでどうなっているのか心配です。
仙石線の鳴瀬川にかかる橋梁も今世紀になってコンクリート製の頑丈な橋に付け替えられました。大津波に耐えたかどうか・・・
このところ軒並み国鉄時代からの車両が引退していく中で、キハ40番台は
よく頑張っていますね。もともと単色で登場したのでタラコ色でも似合うのですが、赤字ローカル線の廃止を思い起こさせ萎えてしまいます。
電車列車が部品の調達が懸念されるため運休が相次ぐ中で、気動車にはフル稼動してもらって架線の下でも走ってもらいたいです。
by 京葉帝都 (2011-04-03 12:37) 

サットン

あーちゃん&父さん

餘部橋梁、本当は工事中の代行バスにも乗りに行きたかったんですが。
新橋は眺望はイマイチながら、見るからに頑丈そうで頼もしいですよ。
「走るんです」のキハ126,187と並ぶとキハ47が立派に見えるので不思議なもんです。ローカル線の充実に公金投入は積極的に評価すべきだと思います。民間企業には荷が重過ぎます。
鳥取駅、ずいぶん寂しくなっていました。数年前に来た時はもっと活気があったのに。この日の夕食は構内の喫茶店でした。
by サットン (2011-04-04 08:53) 

サットン

あおたけさん

餘部橋梁、あっという間に通過してしまいました。おとなしく座席に座っていた方が良かったかも。お陰で高所恐怖症の私でも怖くはなかったですが。
鳥取駅のキハ47、なかなか壮観でしょう!JR西の気動車はいずれタラコ色になるそうですね。単色化については風当たりが強いようですが、下手なご当地色よりはマシかなという気がします。
by サットン (2011-04-04 09:08) 

サットン

飛んでモアイさん

餘部橋梁、もっと観光資源として売り出せばと思うんですが。ジオライナーが餘部に停車するようなので期待したいと思います。
是非、新しい思い出を創りにお出かけ下さい!
by サットン (2011-04-04 09:13) 

サットン

Cedarさん

そうそう!ご覧のとおり見てくれは全くの高架橋ですよ。風による運転規制が安定輸送上の大きなネックになっていましたが、架け替え後は大きく改善されたようです。
by サットン (2011-04-04 09:21) 

サットン

京葉帝都さん

新橋開通後、この区間の定時運転率が向上しその結果豊岡ー鳥取間の快速が復活したそうです。
仙山線も仙石線もいまだに不通ですね。100万都市仙台が鉄道網の上で孤立しているのが信じられません。
40系気動車も登場時は重い割りにエンジンが非力だとか現場の評判は良くなかったそうですが、よく生き残っていますね。タラコ色は私も良い印象はありませんが、40系にとってはオリジナルカラーなので違和感なしです。今回いろいろな気動車に乗りましたが、ローカル線のお伴はやっぱりコイツです。

by サットン (2011-04-04 09:36) 

いそしぎ

いろいろと思い出ある旅路(?)なのですね^^
鎧駅、確かに惹かれるものがありますね。少し残った雪と後ろに見える日本海もいい感じですね。
by いそしぎ (2011-04-04 23:50) 

サットン

いそしぎさん

山陰方面は私にとって一人旅デビューの地ともいえる場所で思い出満載です。
鉛色の空の下、海風吹き付けるホームに人影もなく・・・鎧駅は演歌の世界でした。
by サットン (2011-04-06 12:24) 

Kyo-to

こんばんは。ずいぶん過去の記事へのコメントすみません。

この記事、当時も目にしていたハズなんですけど、先日、ふとしたキッカケで
本記事中に登場する「北陸・山陰510駅」を含め「国鉄全線各駅停車」を
全巻揃えようと思い立ちまして(Amazonで中古が多数出品されてます)、
仕事の昼休みにスマホで色々調べているうちに当記事が引っかかり、
非常にまとまった面白いイイ記事だなぁ、と読み進めたらサットンさんじゃないですか!(笑)。
そして、前述の書物の作成に関わっておられた事実に改めて感心したという次第です。

実際、もう商品を発注して手元にあるんですが(笑)、いまとなっては貴重で味わい深い、
第一級の資料的価値もある素晴らしいシリーズですね!
舞鶴線も担当されたそうですけど、木造駅舎の真倉駅や、東西の舞鶴駅舎のイカすことといったら!!
他の路線では駅名標だけで済まされてる写真も結構あって残念ですが、
餘部駅のディーゼル機関車を入れた情景などサットンさんは流石のお仕事ぶりですね。
後生大切に愛読したいと思います。
by Kyo-to (2013-08-04 02:24) 

サットン

おやおや、どなたかと思えばKyo-toさん!

このシリーズ、目にとまりましたか。懐かしいですわぁ。取材とはいえ必要経費のみ支給の体の良いタダ働きだったんですが、なんと言っても宮脇俊三さん監修のシリーズの手伝いができるとあって喜んで参加したもんです。レンタカーを借りて各駅を回ったんですが、当時からほとんどの駅は寂れてましたねぇ。聞こえるのは鳥のさえずりだけだったような。
この手のシリーズは最近でこそ色々と出回っていますが、国鉄時代のものとしては貴重な資料だと思います。大事にしてやって下さいね。
by サットン (2013-08-04 12:53) 

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