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夏の18切符千秋楽は福井の旅 [鉄道の旅]

夏の“18”で行く心の旅

すっかり秋めいてきた今日この頃ですが、夏の青春18切符の旅の話が残っておりました。

「四国の右上1/4周の旅」から戻ったのが9月8日。この時点で18切符はまだ2回分が残っておりました。有効期限まで余すところ後2日、絶体絶命のピンチでありました。
ここは誰かの手助けを借りねばと母に声をかけた次第であります。どこに行きたいかと問えば「福井」との答え。戦時中母は福井に縁故疎開していた経験があり、その地を訪ねてみたいというのであります。
したがって、今回は何時もの乗り鉄オンリーの旅とは少々風合いが異なりますが、お付き合いいただければ幸いです。

◆“18”最終日の新快速で北へ
大阪9:15-(新快速3216M)-11:15敦賀11:43-(241M)-12:39福井

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▲今日の新快速は敦賀行

というわけで夏の18切符最終日の土曜日、新快速敦賀行でスタートすることに。これは混雑すること必至。四国の行き帰りでオバチャン18キッパーの旺盛な行動力を見せ付けられたばかりでもあり安全策をとり尼崎まで新快速を迎えに行くかと思いましたが、間に合わず運を天に任せることに。9:00発の長浜行を見送り、先頭車最前部の乗車位置で敦賀行を待ちます。この列車、12両編成ですが、うち8両は近江今津で切り離し、敦賀まで行くのは前4両だけです。
緊張感漲る中敦賀行が到着、案の定混み合っており降車が終わるまでずいぶん長く感じましたが、ぎりぎり着席できました。立ち客多数の状態で大阪を発車、この状態は結局敦賀まで続くのでありました。
何時ものように琵琶湖と比良山系の風景を眺め、進むにつれ北国の情緒が深まる車窓を楽しみ大阪から2時間ちょうどで敦賀に到着です。

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▲ついに改築が始まった敦賀駅

敦賀ではお約束の乗り換えであります。新快速を降りた人たちの多くは改札口に向かいます。これなら次の福井行はそれほど混まないと判断し気分転換にわれわれも駅前に出て見ます。改札口を出ると駅舎の改築が始まっていました。北陸路の玄関口ともいえる敦賀駅ですが北陸新幹線の延伸問題も絡んでバリアフリーにも対応できていないお粗末な駅舎での営業が続いていました。ここにきて敦賀市主導で改築に踏み切ったとか。巨大なクレーンのアームがスタンバイしておりました。

駅前広場を一回りしてホームに戻り程なくすると福井行が入線。もちろん521系の2両編成。この時点では余裕で座れましたが、どんどん席は埋まっていきます。とにかくキャパが小さい・・・。発車間際には通路も埋まるほどに。「今日はなんで混んでる・・・」なんてブツブツ言ってるオヤジの胸には18切符が。「理由はわかるやろ!」と心の中で毒づくもう一人のオヤジが・・・。
敦賀を発車してすぐに「北陸トンネル事故殉難者慰霊碑」を左手に見てその北陸トンネルに入ります。何時ものように心の中で合掌。
今庄、武生、鯖江と懐かしい駅名が続くからかトンネルでは居眠っていた母も目を醒まし懐かしそうに車窓を眺めております。
12:39、高架の福井駅着。

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▲明るい高架駅福井に到着


◆初めてのえちぜん鉄道

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▲遠慮がちなえち鉄福井駅

母が疎開していたのはえちぜん鉄道勝山永平寺線越前開発駅の近く。越前開発なんていうと悪徳デベロッパーみたい(実在したらすみません!)ですが、開発はカイホツと読みます。福井駅から3駅目。私にとっては初めてのえち鉄であります。一方、母にとっても初めて、疎開していた頃はもちろん京福電鉄でしたから。

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▲さわやかなデザインが印象的なえち鉄の電車

そのえち鉄の福井駅はJRの東口にあります。いつ列車が通るとも知れない北陸新幹線の高架が廃墟のように建つ東口に玄関を構えるえち鉄でありますが、間口が狭く隣のバス待合室の方が目立っています。
ホームに入ると1両の電車が待機中。昼間でも勝山永平寺線、三国芦原線が各々30分間隔で運転されており、この電車は幸いにも勝山行。愛知環状鉄道出身のセミクロスシートの車内はほぼ満席、立っている人も見られるほど。噂どおり手堅く集客しているようです。発車するまで間があるのでホームのベンチで人気者(?)の恐竜と記念撮影を。

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▲えち鉄の人気者恐竜と 本人の賢明な判断により顔は隠しております

発車するとえち鉄名物の女性アテンダントが早速活躍を始めます。案内放送の後車内を見回し半端な座り方をしている乗客には詰め合わせを促し、立っている客を誘導しています。これも噂に違わぬ活躍ぶりであります。さすがはローカル鉄道アテンダントのパイオニアですね。


◆思い出の地を訪ねて

福井口で三国芦原線と分かれるともう越前開発に着きます。
アテンダントさんに切符を渡してホームに降り立ちます。恐ろしく狭い島式ホームには屋根はおろか駅名標すらありません。ホームドアどころの話ではありません。

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▲越前開発駅のホームに降り立つ

構内踏切を渡って駅舎に入ると改札口、出札窓口どちらにも駅員さんの姿は見当たらず。えち鉄のHPでは有人駅と案内されていますが、どうやら朝夕限定のようです。

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▲当時と変わらぬ越前開発駅舎

駅舎を出た所で母は立ち止まっております。木造のちっぽけな建物は60数年前と全く変わらないんだそうです。疎開している間、月に一度大阪から面会にやって来る母親をここで首を長くして待ち、そして、涙ながらに見送っていたんだとか。当時の福井と大阪は今とは比較にならない距離に隔てられていたはずです。その頃小学校低学年だった母の心情は察するに余りあります。

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▲福井行の電車が到着

街中に出てみるとさすがに当時の面影はすっかり薄れてしまっているようです。福井市内は1948年の震災を機に道路が拡幅され町割が変わってしまっている上に宅地化が進んでおり趣が変わってしまったんだそうです。それでも微かな記憶を頼りに当時身を寄せていた親戚の家があった場所を捜し当て、通っていた小学校も訪ねてみることができました。もちろん小学校は鉄筋コンクリートに建て替わっており二宮金次郎の像に再会するも場所が移されていたそうです。

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▲疎開中お世話になっていた福井市立啓蒙小学校で二宮金次郎に再会

どうにか訪ねるべき所は一通り押さえて越前開発の駅に戻ります。
帰りの電車内ではかいがいしく働くアテンダントさんから切符を買い求めました。車内補充券なんて何年ぶりでしょう。

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▲越前開発駅ホーム 電車が入って来るとこんな感じ

当初の目的は達成したものの乗りつぶしとしては最悪であります。福井ー越前開発間をつまみ食いしただけですから。いつの日か再訪しなければなりません。


◆福井市内を散策

福井駅に戻り高架下の商店街「PRISM」で越前蕎麦の昼食をとった後1時間強時間があるので駅周辺を散策してみることに。観光案内所でもらった地図を頼りに北の庄城跡を訪ねてみます。大河ドラマ「江」ゆかりの地ということで売り出し中のようです。

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▲北の庄城跡というか柴田神社

駅から徒歩10分ほどで着いた所は城跡というよりも完全に神社でした。なるほど地図にも柴田神社(柴田勝家を祀る)と大きく表記されているわけが分かりました。しかし、周囲は古びたビルの壁に取り囲まれておりなんとも興醒めであります。期間限定というふれこみのプラスチック製天守閣もなんか安っぽい・・・・。
それでも特設の資料館ではボランティアガイドの人たちが熱心に説明にあたり、観光客も三々五々訪れています。恐るべし大河効果!

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▲鯉や亀が泳ぐ福井城址の濠

続いて福井城址の県庁を目指して市街地を歩きますが、恐ろしくひと気がありません。「だるま屋百貨店」の流れを汲む西武福井店の周辺も然り。土曜日だというのにこれはいけません。母も「だるま屋には何でもあったのになあ・・・」とポツリとこぼしておりました。周囲の街路は電線の地中化も完成しているのにもったいない。

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▲現代の天守閣福井県庁

やって来た福井城址は濠と堂々たる石垣も残っておりなかなかの貫禄を見せます。こちらは昨年の大河「龍馬伝」に登場した松平春嶽の居城として知られています。
城内には福井県庁と県警本部の立派な建物が鎮座しております。そういえば学生時代に県庁の職員食堂でカツカレーを食べたなあ・・・・。

そろそろ福井駅に戻りましょう。

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▲福井駅前にも人影はなく でも構内は賑わっていました


◆福井駅ホームでオッサンを叱る
福井15:45-(240M)-16:37敦賀17:00-(4846M)-17:35近江今津17:43-(1835M)-18:46山科18:52-(新快速3295M)-19:28大阪

土産物をあれこれ買い込む母を促しホームに上がります。予定している列車は15:45の敦賀行ですが、金沢からの列車が着く15:30までにはスタンバイしておきたい。ところが乗車位置の案内が全くありません。特急列車の乗車位置はLED式案内標で細かく案内しているものの普通列車の客は勝手に乗ってろって感じです。仕方なく停車目標と車掌さんの待機している位置から推測し列車の入線を待つことに。金沢からの乗り継ぎ客も合流し列が伸びたところで敦賀行が入線となりますが・・・。ここでオッサンが一人コソコソ出て来て最前列にいた私の横に!典型的な横入りです。これはいけません!オッサンを睨みつけると目が合いました。その瞬間私の口からは「横入りすな!」。オッサンはぶつぶつなにやら口ごたえしております。ここでドアが開き車内に。オッサンもちゃっかり座っております。許せません!

15:45、まだまだ太陽が照り付ける中敦賀へと向かいます。
数時間前に見た景色を巻き戻しつつ敦賀が近付くとその先の乗り継ぎが気になります。帰路も湖西線経由を選択し23分連絡の近江今津行に乗り継ぐ予定なんですが・・・・。考えていることは皆同じなのか検札に回って来た車掌さんに一人の乗客が敦賀での接続を尋ねています。すると車掌さんは「この電車が近江今津行になりますのでこのまま乗っといて下さい」とのこと。時刻表では全く別の列車として扱われている2本の列車が実は1本の列車というわけです。

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▲湖西線は名車117系で(近江今津)

敦賀駅での長い23分間の停車を挟んで近江今津行に変身した列車はほぼ満席の状態で終点近江今津に到着。ここでの乗り継ぎは8分連絡で普通京都行となりますが、生憎ホームを移らねばならずほとんどの下車客が足早に階段になだれ込んで行きます。もう疲れました・・・・。向うは117系6両、席はたっぷりあるはず。ゆっくり乗り換え夕暮れの湖西線を南下するのでありました。


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一時は使い残しも必至かと思われた今シーズンの青春18切符でありますが、こんな逆転劇で無事使い切ったのでありました。

ここ数年、廃止の噂もささやかれる18切符でありますが、来春は発売開始から30周年を迎えます。ここはひとつJRグループの粋なサプライズを期待したいところであります。



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コメント 14

Lionbass

いい親孝行されましたね。
117系が頑張ってるのを見るとなんだかうれしくなります。
by Lionbass (2011-10-20 16:02) 

まるたろう

えち鉄というと、やはり自分にとっては、アテンダントの存在が
大きいですが、大活躍のようですね。また乗りに行きたくなりました。
by まるたろう (2011-10-20 19:55) 

うたに

駅舎に当時の情景を重ねて…。
鉄道がつなぐ親子の絆。京福電鉄→えちぜん鉄道へ。廃止にならなくてよかったです。
色々な思い出のある駅か…きれいな思い出のまま取っておきたい気持ちが大きくて、自分にはそこを訪れる勇気がまだ無いや。。
by うたに (2011-10-20 23:25) 

Cedar

こういう旅はうらやましいです。うちの親は東京生まれ東京育ちで東京から出たことも無いので~。
by Cedar (2011-10-20 23:47) 

ドラもん

福井えちぜん鉄道の取り組み、特にアテンダントさんの仕事ぶりは大変興味があります。一度訪ねたい路線です。
親子でのご旅行、素敵でした。
by ドラもん (2011-10-21 10:35) 

あおたけ

青春18切符で親孝行旅・・・。
こういう旅にはのんびりとした鈍行列車が似合いますね。
できれば昔のように編成の長い列車だと座席取りの心配も
無いのでしょうが、521系二両は短すぎますよね。。。
そういえば、ついに521系は富山地区への導入も決定したようで・・・。
by あおたけ (2011-10-21 17:58) 

サットン

Lionbassさん

親孝行と言っていただき嬉しいやら照れ臭いやら・・・。
117系、新快速時代の華やかな活躍は今や幻ですが、当時のカラーで現役続投なのは嬉しい限りです。
by サットン (2011-10-22 12:35) 

サットン

まるたろうさん

わずかに3駅乗っただけですが、アテンダントさんの仕事ぶりには感心しました。
今回はつまみ食いに終わってしまったので完乗目指して是非再訪したいと思います!
by サットン (2011-10-22 12:40) 

サットン

うたにさん

母にとっては決して楽しい思い出ではなかったはずなのですが。それでも訪れたいというのはまさに60数年の時の流れがあればこそだと思います。思い出は美しいってことでしょうか。
一度は命脈尽きた京福が見事に甦ってる姿は感動ものです。

by サットン (2011-10-22 12:49) 

サットン

Cedarさん

母も大阪生まれ、大阪育ちだったのですが、戦争末期の一時期を不本意ながら福井で過ごさざるを得ないことに。そこがどんな場所だったか気になっていましたが、今回幸いにも訪れることができました。
by サットン (2011-10-22 13:07) 

サットン

ドラもんさん

私にとって初めてのえちぜん鉄道はご覧のとおりつまみ食いですので全体を語ることはできませんが、アテンダントさんのコマメな働きぶりには感心しました。先月号の鉄道ジャーナルがアテンダントのルポを掲載していましたね。
by サットン (2011-10-22 13:16) 

サットン

あおたけさん

親孝行と言って良いのかどうか・・・・。
私が初めて北陸本線に乗ったときはEF70の引く旧型客車でした。もちろん席の心配など皆無でした。521系が導入されて座席数が減ったのに福井、敦賀いずれも乗車位置の案内はなし。もっと利用者目線に立った案内が欲しいですね。ますます使用範囲が広がる521系を嫌われ者にしないためにも。
by サットン (2011-10-22 13:28) 

飛んでモアイ

今月、会社の組合の会議に出席する為、福井へ行った際、
帰り、30分ほど時間が有ったので、福井~田原町で往復しました。
アテンダントを撮る為・・・。
しかし、三国港行きのアテンダントは、福井口から乗務する事を忘れていた!!
しまったと思ったが、既に遅し・・・。
帰りも福井口で降りる・・・はず?だったが、福井まで乗務されたので、
撮影させてもらいました。(笑)

勝山行きなら越前開発往復で、二人ほど撮影出来たはずなんですがね・・・。
時間が合わなかったです・・・。

本当は、新しくなった三国港駅を見たかったです・・・。
by 飛んでモアイ (2011-10-23 00:39) 

サットン

飛んでモアイさん

アテンダントさんのスケジュールまで把握しないといけないとはたいへんですね。
しかし、こまごまと良く動かれるのには感心しました。昔の路線バスの車掌さんのよう。アテンダントなんて気取った名前が似つかわしくないように思いました。
三国港、次回は是非行かねば!
by サットン (2011-10-23 09:56) 

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