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昭和60年9月 大阪~鳥取往復鈍行の旅 復路編  [鉄道の旅]

鈍行列車の理想と現実

今から36年前の山陰鈍行列車の旅、往路編(コチラ)に続いて鳥取~大阪への復路編であります。
大阪から鳥取まで鈍行列車と特急「はまかぜ」のワンポイントリリーフで8時間余りかけてやって来たE君と私の二人組みであります。「はまかぜ」ワープのお陰で獲得した1時間10分の折り返し時間もランチタイムに消えてしまい、いよいよ大阪に向け来た道を戻らねばなりません。

鳥取15:00発、米子始発福知山行き鈍行528レに乗ります。DD51の後ろに連なるのは往路の12系とは違い青や茶色の古めかしい雑形客車(略して雑客。旧型客車ともいう)であります。これぞ由緒正しき山陰鈍行の姿ですな。我々も「やっぱり鈍行はコイツやないとな」、とか「12系じゃモノ足りんわ」、と口々にこの古色蒼然たる車両を絶賛するのでありました。

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▲いきなり福部で「あさしお」退避のため小休止

しかし、出発早々我々は現実の厳しさを思い知るのであります。9月とはいえ照り付ける太陽は強烈で車内はうだるような暑さです。追い討ちを掛けるように1駅目の福部で早くも後続の特急「あさしお」退避のため暫く停車です。窓を全開にしたところで停車中は風が入らず灼熱状態に拍車がかかります。「やっぱり12系がよかったなあ」。「冷房車は偉大やなあ」、と手のひらを返したように12系礼賛に転じる軟弱な我々を尻目に涼しげに通り過ぎて行く「あさしお」でありました。
ようやく動き出した528レですが、窓から入る風も熱風と化しており灼熱地獄は続きます。こうなりゃ日が暮れるのをじっと待つしかありません。そんな中通りかかったのが山陰本線随一の名所餘部鉄橋であります。デッキに出て地上45mのスリルを味わいます。こんな体験は雑客の乗客にのみ許された特権といえるでしょう。お陰でちょっと涼しくなったような。

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▲ムシの襲撃をかわしつつの記念撮影(上川口)


豊岡辺りでやっと日が暮れます。ホッとする間もなく次なる試練が我々を襲います。ムシです。全開にした窓から車内の蛍光灯めがけてムシが次々に飛び込んで来るんです。バチンと顔に当たればそこそこ痛い。仕方ないので窓を閉めムシから身を守ります。
そんなこんなで19:38福知山に到着、鈍行修行も一区切りです。

◆二択。山陰本線 or 福知山線
さて、当初の計画ではここから大阪まで山陰本線経由か福知山線経由かそのときの気分で決めようと鷹揚な考え方でしたが、疲労もたまり二人揃って近道である福知山線経由を選択、往路と同じく駅前のマクドで夕食を調達し、20:13発、436Dに乗り込みます。キハ47ですが、今と違ってクーラーなど付いていません。大阪まであと3時間です。

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▲武田尾で「だいせん5号」を待つ

暗闇の中、エンジンの唸りをお供に走り続けようやく武田尾到着。ここで列車行き違いのためしばらく停車します。相手は急行「だいせん5号」。DD51のヘッドライトが闇を切り裂き後には20系客車が連なりゆっくりと通過して行きます。遠ざかるテールライトを見送り車内に戻ります。いやあゴール目前に良いシーンを見せてもらいました。
照明に浮かぶ伊丹空港を左手に見送ると終点大阪はもうすぐ、23:16、17時間27分かけて大阪駅に戻って来ました。この間ほとんど列車に乗り通し。耐久レースのような大阪ー鳥取往復の旅が終わったのでした。二人とも顔もシャツも煤にまみれておりました。

この旅が特に印象に残っているのは、その時期にあるのではないかと思っています。1年半後に国鉄民営化が迫り何かとザワザワしている時期でした。中でも福知山線は翌年11月の国鉄最後のダイヤ改正の目玉である全線電化に向け工事も佳境を迎えるという正に激動の時期に当たっていたからです。加えて私にとって最後の雑客旅だったこと。文中ではボロカスに書いていますが、雑客の旅の独特の雰囲気が大好きでした。全開にした窓から吹き込む風と草いきれの臭い。最後尾のデッキから眺める移り行く風景。停車するとシーンと静まり返る車内。今の鉄道では再現不可能な旅情に溢れていたように思います。こんな風に懐かしむのは齢のせいでしょうかねえ。

前記事に続いて私の昔話にお付合いいただきありがとうございました。コロナ禍で新ネタ探しも難しいということで古いアルバムから写真を引き剥がし、わずかなメモと薄れいく記憶を辿りながら記事にしてみました。従って事実を誤認している箇所もあるかと思いますが、お気付きの点がありましたらコメント欄でご指摘いただければ幸いです。

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昭和60年9月 大阪~鳥取往復鈍行の旅 往路編 [鉄道の旅]

回想 長距離鈍行の旅

唐突ですが、今日はみなさんを昭和60年(1985年)9月の福知山線、山陰本線の旅にお招きいたしましょう。・・・例の緊急事態宣言が案の定延長されました。好調なスタートを切ったスルッとKANSAIバス印ラリーも塩漬け状態であります。不要不急の外出はならぬ、とのことで新ネタも見つからず。そこで昔話でも聴いていただこうかということで時を戻すのであります。まあ、昭和のオヤジの思い出話だと思ってお付合いいただければ幸いです。

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▲今も昔もテツ旅の強い味方

時は昭和60年9月10日であります。この日は今も36年前も夏の「青春18きっぷ」の有効期限であります。この年私は1日分を使い残しておりどう消化しようか思案に暮れておりました。そこへテツ友E君から「鳥取まで鈍行で往復しないか?」とのお誘いが。渡りに舟とばかりに二つ返事で便乗させてもらったのでありました。
E君から提示されたスケジュールは・・・大阪5:49(鈍行721レ)14:50鳥取15:00(鈍行528レ)19:38福知山 以降大阪まで福知山線経由、または山陰本線経由かはその場の気分で選択、というものです。それにしても鳥取で10分の折り返しって何かの罰ゲームか。

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▲なぜか和田山だけ下車印が もっともらっておけばよかった

ちょっと朝早いのが不安ですが・・・はい、そのとおり。寝坊してしまいました。しかし、そこは阪急宝塚線民だった地の利を生かし阪急で721レを追いかけ無事宝塚で捕まえることができました。

◆721レの行き先は・・・
E君とも無事合流し、6:29宝塚を発車します。ところでこの721レの行き先はどこだと思います? なんと、出雲市ですよ、出雲市!! 大阪から出雲市まで鈍行がダイレクトに結んでいた、そんな時代がわずか三十数年前まであったんですなあ。
さて、列車は武庫川渓谷に沿って走ります。宮脇俊三さんが「最長片道切符の旅」の中でも絶賛しておられた車窓ですが、翌年、福知山線全線電化に併せて新線に切り替えられ役目を終えます。この福知山線の電化工事は、翌年(1986年)11月の国鉄最後のダイヤ改正に間に合わせるべく急ピッチで工事が進められており、この時点でも既に線路沿いには架線柱が立ち並んでいました。

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▲堂々「出雲市」の行き先表示(広野)
 ※画像中人物ブログアップ許諾済み(以下同じ)

◆冷房完備の鈍行で快適な旅
一方、車内の様子ですが、快適であります。なんといっても冷房完備というのがありがたい! そうなんです。この列車には当時福知山線、山陰本線の鈍行列車の定番であった雑客(雑形客車の略)ではなく12系客車が充当されているんです。当時ダブついていた12系をローカル用に転用する例は各地で見られたようですが、ここ福知山線では1985年(時期不明)、つまりこの年に投入されたそうですから12系が活躍する姿を見られたのは電化までの1年少々の短期間ということになります。

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▲12系客車で快適、快適(篠山口)

大阪行きホームが通勤客であふれる三田を出ると沿線風景はすっかり鄙びたムードになりますが、それでも各駅の反対側ホームには通勤客の長い列が。みなさん遠距離通勤ご苦労様です。電化が完成すれば快適通勤が実現しますからね。・・・ところが翌年11月のダイヤ改正は赤字国鉄最後の改正とあって車両も満足に揃えられない超ケチケチの悲惨な内容となったのでありました。
それに比べるとこちらは長閑なムードです。各駅から高校生が乗って来るものの篠山口でどっと降りてしまいガラガラになって9:01福知山に到着です。

◆停車時間の方が長い?
ここで29分間の停車時間があるので散歩がてら朝食を手配しに改札を抜け駅前をうろうろ。結局マクドでテイクアウトします。(この駅前のマクドは閉店したようです)。
それにしてもこの列車、頻繁に長時間停車が設定されています。福知山での29分間を筆頭に主要駅だけでも、篠山口 12分、和田山 16分、豊岡 21分、香住 20分、浜坂 20分という具合。走っている時間より停車している時間の方が長いんじゃないか、と思うぐらいです。一般乗客には甚だ迷惑なことでしょうね。でも、乗り鉄にとってはこの長時間停車こそが鈍行旅の醍醐味なんですなあ。

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▲長い停車時間を利用して記念撮影に勤しむ(豊岡/城崎)

◆特急「はまかぜ」の誘惑
浜坂が近付いた頃、時刻表を見ていたE君が一計を案じます。もし浜坂で後続の特急「はまかぜ1号」にスイッチすると¥1200の課金で鳥取での滞在時間が10分から1時間12分に拡大できるが如何と。このまま計画どおり鈍行に乗り続けたい気もするし、かといってわずか10分で折り返すのもキツイしなあ・・・と思案の結果こうなりました。

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▲特急の誘惑に負けた

根性なしのわれわれは鳥取を目前にした浜坂で、そそくさと特急に寝返ったのでありました。
13:48鳥取着。大阪を出ておよそ8時間が経過しております。721レに乗り続けていれば後1時間遅くなっているところ。投資効果抜群の特急スイッチ技でありました。
ちなみに721レの終着出雲市到着は19:08、なんと大阪から13時間19分! もし今こんな列車が走っていたら絶対乗りに行くのに、と浜坂で挫折した根性なしが申しております。

さて、¥1200で買った鳥取での1時間、駅前の鳥取大丸館内レストランでのランチタイムであっという間に過ぎたのでありました。

それでは折り返し大阪へ向けて「復路編」に続きます。

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