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初詣&お節 2015 [ホテル(その他)]

快晴の服部天神へ

犬の写真でごまかすのは元日だけにして、2015年の当ブログ本格始動であります!

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▲快晴の下服部の天神さんへ

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▲なんだか安っぽい今年のジャンボ絵馬 折り目入ってるし・・・

まずは吉例に従いまして初詣の話。今年は亜熱帯大阪にしては珍しく元日、2日は雪が降る寒~い天候に。3日は一転澄み渡る青空となり、風もなく絶好の初詣日和となったのであります。この機を逃してなるものかと出掛けたのは、これも毎年吉例の豊中市の服部天神であります。

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▲行列することなく参拝完了

境内は流石に元日ほどの混雑はなく程よい賑わいで気持ち良く参拝できました。

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▲クマモンではありません

今年のお伴犬はチワワ(血統書付!)のチマキ嬢です。昨年2月に当家にやって来たばかり。生まれて初めての初詣とあって人混みにビビッてなかなか歩きません。抱っこしてやっても眼を見開いて固まっておりました。ただでさえ大きな眼が飛び出しそう。

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▲2015年の乗り初めは阪急6113F

ということで天神さんを早々に辞し、体調は大丈夫かと心配する家族を振り解き阪急服部天神駅から電車に乗り込んだのであります。日中の普通宝塚行きはお正月ならではであります。
さてさて、向かった先は・・・・。次々号でご報告いたします。


◆今年のお節は札幌グランドホテルより

毎年お節料理は通販で取り寄せておりますが、今年のはワタシ的には期待どおりだったのでご紹介しておこうと思います。以前から気になっていた札幌グランドホテルの謹製であります。ホテルらしく3段重が各々和・洋・中に分かれているのが選択のポイント。和風オンリーでは売れ残りが多発してしまいますので。その点、バラエティに富んだ今回のメニューはお酒との相性も良く絶好のオードブル感覚で箸も進みます。味も無難に仕上がっており三が日でほぼ食べ終えました。

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▲北の迎賓館札幌グランドホテル謹製

札幌グランドが気になっていたのは理由が2つ。一つは同ホテルは早くから自社ブランドの外販に熱心であり、その点ではホテル業界のパイオニア的存在であること。(←元ホテル屋!) 
いま一つは私にとって北の都札幌のホテルというと即ち札幌グランドであるからです。学生時代から何度となく訪れている札幌のホテルには格安から上級まで何軒となく宿泊してきましたが、最も札幌を感じさせてくれるのはやはり札幌グランドでしょう! その札幌にも長らくご無沙汰、せめてお節で北の都の匂いを感じることができればという思いもありました。

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▲和・洋・中の3段重

まずは満足です。やっぱりもう一度だけ札幌を訪れたいという気持ちに火が着いたのはかえって逆効果だったかも知れません。
ともあれ、ごちそうさんでした!


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沼津駅前のトレインビューホテル [ホテル(その他)]

その名もココチホテル沼津

今回は、沼津駅前にあるちょっと気になるホテルをご紹介します。
というわけで久々のホテルネタであります。しかも、その場所が沼津ときました。創刊657号を数える当ブログですが、おそらく今までに「沼津」という地名すら登場したことはないはずです。そんな当ブログで唐突に沼津のホテルを取り上げることになったのには、ある種の偶然が介在します。それは・・・・・

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▲沼津駅北口から徒歩1分

いつものようにネット上で空想旅行に耽っていた私は何かの拍子に沼津のホテルを検索していて、このホテルに目が留まりました。絢爛豪華というわけでもなく、どちらかというとこじんまりした規模。主なターゲットはビジネス客だと思われる割には個性的な客室。HPから伝わって来るオーナーのホテルと沼津という町への愛着。このホテルに泊りたい!という強い誘惑にかられました。しかし、大阪在住の私が沼津のホテルを利用するという機会は簡単には巡って来そうにありません。

そんな時、本誌遊軍記者から「良いホテルに泊った」とレポートが飛び込んで来たのです。その「良いホテル」こそ私が注目していたホテル、その名も「ココチホテル沼津」だったのです。何たる偶然でしょう!
ちなみに記者は、元々私と同じホテル屋で、今は全くの異業種に転じ、1年の大半を出張先のホテルで過ごしております。つまり、ホテルの裏側を熟知したヘビーユーザーというホテルにとっては侮れない存在なのであります。

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▲隠れ家的なエントランスへのアプローチ

このホテルでまず興味を惹くのは、その名称でしょう。ココチホテルという名前からは、心地という単語を連想します。実際ホテルのキャッチフレーズも「シンプルモダンでココチ良いホテル」と謳っています。しかし、その名の由来は、それにとどまらず、COZY=心地良い空間、CORDIAL=誠実な対応、CHEERFUL=元気になれる食事と睡眠、の頭文字を並べたもので(COCOCHEE HOTEL)、同時にホテルのコンセプトを表現したものとなっています。なかなか良くできています。ホテル名改称で見事にこけてしまった我が古巣のホテルとはえらい違いです。

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▲ロビー横のラウンジ

前置きが長くなってしまいました。この辺で館内にご案内いたしましょう。
まず、ゲストを迎えてくれるロビーです。フランス有数の家具ブランド「リーンロゼ」のソファが鮮やかなコントラストを見せ、快適なステイを予感させます。

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▲リラックスダブル

このホテルの客室は、大きく分けてリラックスタイプとビジネスタイプで構成されます。そのうち、このホテルらしいのはリラックスタイプ。その名のとおり、床は畳敷き、浴室は洗い場付きとゲストをリラックスさせることに徹底的に拘っています。ただし、室内でのデスクワークを希望する場合は広いワーキングデスクを備えたビジネスタイプをご利用下さいとのこと。

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▲ナイトテーブルも格好いい

今回、記者が利用したのもリラックスダブル。面積18平米、ベッドサイズ1400mmというシングルユースなら十分なスペック。全客室140室のうち40室を占める、このホテルの主力商品であります。
基本室料は、1名利用で10000円(税・サ込み)ですが、記者は朝食付き7800円で予約できたとのこと。全国ネットの大手ビジネスホテルチェーンと較べると高くはなりますが、一般的な出張旅費の範囲内には収まる金額ではないでしょうか。
なお、リッチモンドホテルチェーンの提携ホテルになっています。

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▲バスルームは洗い場付き

こちらがリラックスタイプ自慢の浴室。洗い場付きでマッサージシャワーを装備。下手なシティホテル顔負けの内容です。ただし、ビジネスタイプの客室はユニットバスになるそうなのでお間違いなく。

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▲洗面・トイレとバスアメニティ

今回宿泊した記者の感想は以下のとおりです。

 「以前、沼津で宿泊したホテルは最悪やったんでどっかないかと徘徊してたら発見した次第で試してみたら大満足で即メンバー登録。
 朝食もすごく良い。アジの干物も焼きたてで丁寧に朝食用意してくれてるなと。
元ホテル屋の目から多少コメント有るけど、値段と品質を考えると絶賛のレベルや。
また、泊まりたい数少ないホテルの一つにノミネート」。

ということで、ホテルと食事には極めてうるさい遊軍記者を唸らせたココチホテル沼津のご紹介でした。
ホテルHP http://www.cocochee.jp/index.php

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▲窓からは沼津駅ホームと桃太郎が

最後になりましたが、タイトルに謳ったトレインビューについて。
記者が宿泊した客室からは、ご覧のように沼津駅のホームが見て取れます。手前にはJR貨物の桃太郎ことEF210が停車中ですが、見えるでしょうか? この沼津駅、汽車の駅の面影を色濃く残す貴重な駅ですが、現在高架化が進行中とのこと。完成すれば、この眺めも一変することでしょう。ただし、完成予定は平成34年度とのことですが。
※眺望は部屋によって異なりますので予約時にホテルとご相談下さい。


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八重洲富士屋ホテル間もなく閉館 [ホテル(その他)]

30年目のさようなら

とある訳あって久し振りに八重洲富士屋ホテルのHPを開いてみました。冒頭には「30年の感謝をこめて」の文字。(開業は1983年) 「ほー、もう30年か・・・・」と思いながら読み進んで行くと、「八重洲富士屋ホテルは2014年3月31日をもちまして営業を終了いたします。・・・・」。えっ、閉館! どうして!?

八重洲富士屋ホテルは、その名のとおり東京駅八重洲南口の目と鼻の先に建つ客室数377の中堅ホテルです。あまり華やかなイメージはありませんが、東京駅至近ということで東京駅を利用する機会の多い方にはお馴染みのホテルかと思います。言うまでもなく、箱根・宮ノ下の富士屋ホテルと同じ富士屋ホテルチェーンのホテルです。
これだけ立地条件に恵まれたホテルがなぜ閉館? こんな疑問を抱くのは元ホテル屋の私だけではないでしょう。少なくとも宿泊に関してはアクビをしていても集客できそうに見えるんですが。

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▲エントランスには "With All Our Thanks 30years" の文字


◆閉館の理由とは

ということで、何時ものようにネット上を検索すると、昨年10月8日付の日本経済新聞が、この件を報じております。要約すると・・・・
「同ホテルは客室稼働率も90%を超えるなど収益を上げているものの親会社である国際興業の経営再建のため売却し、同社の財務体質改善を図る。なお、敷地については既に住友不動産に売却済みである。」(>>>こちら

親会社の都合でホテルが売り飛ばされるというのは珍しい話ではありませんが、これほど業績好調(に見える)なホテルが売りに出されるというのは稀な例だと思います。しかも、敷地の売却で得られる収益が目当てでホテルとしての価値は顧みられない、というのは何とも悔しい限りです。約200人の従業員は同ホテルチェーンの他施設に転籍とありますが、近くて箱根、大部分は山梨県下ですから事実上の退職勧奨ということになるのではないでしょうか。ちなみに現在、国際興業を牛耳っているのは先般西武鉄道と一戦交えた投資ファンドであるサーベラスだそうです。資産の売り食いで目先の利益を上げる・・・・さすがはハゲタカといわれるだけのことはありますな。
これも突き詰めるとホテル業の地位の低さを象徴する一例なんですが・・・・。

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◆父娘でお世話になりました

今回、このホテルのHPを開いたのは娘が東京に遊びに行くに際して旅行代理店に薦められたのがきっかけです。大阪からの往復の新幹線とホテル1泊がセットになって3万円弱。それで立地の良いこのホテルだったら言うことはありません。だいいち私に似て方向音痴な娘でも道に迷う心配もありませんから。(・・・・実際はちょっと迷ったらしい。嗚呼!)。

実はこのホテル、私にとっても思い出深いホテルなんです。1992年、初めて洋行する際、成田発の前泊としてお世話になったのがこのホテルです。当時の私は埼玉県民だったんですが、当日のっぴきならない用事が大阪であり、前日にデビューを飾ったばかりの「のぞみ」で深夜に東京に戻り、翌早朝の成田エクスプレスで成田空港に向かうというスケジュールでした。当時、東京駅周辺にホテルは少なく、東京ステーションホテルなど電話で「宿泊の・・・・」と言うか言わないかのうちに「あいにく満室でございます!」と言われる有様でしたから、このホテル
で予約が取れたときは安堵したものでした。
宿泊以外にも食事や会議でもお世話になりましたが、富士屋ホテルという老舗の持つ重い雰囲気とは違ったフレンドリーなムードが好ましかったように記憶しています。

東京駅至近では現在何軒ものホテルの新築工事が行なわれているようです。八重洲富士屋ホテルの閉館と入れ違うように八重洲口には「コートヤードバイマリオット東京ステーション」(・・・長い名前やな!)が4月にオープンするんだとか。でも、宿泊料金は軒並みかなり高めの設定になっており、富士屋のように手軽に泊れるホテルが消えるのは、当時の私のような「寝るだけの利用者」にとっては痛手でしょうね。
繰り返しになりますが、まだまだ血の通っているホテルをまるで株を売却するかの如く右から左へ売り飛ばす経営者の姿勢には疑問を感じます。

こうして開業以来30年、八重洲口に明かりを灯し続けた八重洲富士屋ホテルは間もなく姿を消すことになります。不条理ともいえる都合での閉館は残念ではありますが、思い出を振り返りつつ最期のときを見守りたいと思います。


追 記

本誌遊軍記者から閉館後の八重洲富士屋ホテルの画像が届きましたので掲載しておきます。

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▲閉館後の八重洲富士屋ホテル(2014年5月頃)

玄関周りはフェンスで閉ざされています。灯りの消えたホテルの姿というのはなんとも寂しいものです。魂の抜けた抜け殻ですね。(2014.9.12)


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秋田というと「ホテルハワイ」!・・・だった [ホテル(その他)]

消えたご当地ブランドホテル

お気付きのとおり前回の「リッチモンドホテル秋田駅前宿泊記」のスピンオフ記事であります。

昨年の10月、私は20数年ぶりに秋田の地を踏んだのであります。思えば学生時代から新人ホテル屋としての東京勤務時代には何度となく訪れた町です。そんな秋田も長らくご無沙汰してしまい、秋田新幹線開業以来初めての訪問となりました。
いやあ流石に月日の隔たりを感じさせられました。駅周辺には垢抜けた商業ビルやオフィスビルが建ち並んでいます。文字どおり昔のままの佇まいの緑屋・・・家具店らしい・・・の姿が異様に見えるほどでした。
秋田市内に陣取るホテルも同様でリッチモンドをはじめ、ダイワロイネット、ドーミーイン、東横インなどここ10年ほどに進出したのであろうホテルチェーンが予約サイトの画面を賑わしています。
ここで「ホテルハワイは?」と素朴な疑問が頭をもたげます。そう!秋田のビジネスホテルといえばホテルハワイだったはずです! 秋田市内に3店舗を展開し、客室総数は1000室を超える地方都市としては出色のビジネスホテルでした。駅や列車内の交通広告にも頻繁に出稿しており認知度も抜群でした。私も’89年9月に東北乗りつぶし旅の際に「ホテルハワイ駅前店」に投宿しております。ネットなんてない時代のこと、この強烈な名前のホテルの広告を見て公衆電話から予約したのでした。ところが検索画面にはホテルハワイは現れず。もしや・・・・の予感が。

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▲お濠端に佇むホテルハワイ駅前店・・・・抜け殻です

リッチモンドホテルをチェックアウトし、散歩がてらに千秋公園のお濠端を歩いて秋田駅に向かっていると「ありました!」。白い大きな建物の屋上にはちゃんと「HOTEL HAWAII」のサインも出ています。もしやの予感も杞憂に終ったな、と近付いていくとなんと閉館! 急転直下、悲しみの対面となってしまいました。
旅から帰ってちまちま調べてみると・・・相次ぐ新規ホテルの進出で営業不振に陥り’09年1月に3館とも閉鎖。建物を競売にかけるも入札不調で解体もできない、との事実がわかりました。地方ビジネスホテルの雄も全国チェーンの相次ぐ進出の前にはなす術もなかったようです。

まあ、資金力、集客力に乏しいローカルビジネスホテルが大手チェーンに淘汰されるというのは全国津々浦々で見られる構図ですが、最近は大手チェーン内の世代交代も進んでいるように思います。ビジネスホテルのチェーン展開第一世代を担っていたブランドの退潮です。秋田市内からもワシントンホテル、三井アーバンホテルが撤退したようですが、この2社の撤退は秋田に限ったことではないように思います。他にもサンルートや東急インなど「最近元気ないなあ」と感じるブランドはたくさんありますね。

今回はホテルハワイを話題に取り上げましたが、こうしたご当地ブランドのビジネスホテルが次々に消えていくのは寂しくもあります。北海道のホテルパコは健在なんだろうか?などと思いながらこの記事を書いております。


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ラマダホテル大阪閉館とブログ異変 [ホテル(その他)]

旧東洋ホテルもついに年内閉館へ

6月24日の出来事です。

この日のお昼頃からPCに妙なメールが舞い込み始めました。差出人は某ブログの事務局です。今はこのSo-netブログに腰を落ち着けている私ですが、ここに来るまでは幾つかのブログを渡り歩いており、その中の一つがメールの主である某ブログなのです。
そのメールの内容というのが「○○さんのブログが****回訪問されました」、というアクセス状況を知らせるもので1000アクセスごとに送られて来ます。ブログを閉鎖せずに置いているため今でも細々ながら来訪いただいているようで月に何度か送られて来ておりました。
ところが、この日はその頻度が違うんです。ドンドン送られて来てピーク時にはおよそ5分おきに。つまり、5分おきに1000件のアクセスを記録してるってわけです。あり得ません! 半ば休眠中の弱小ブログがそんなに高頻度でアクセスを受けるなんて考えられないことです。これはブログのカウント機能が壊れたか、はたまたCIAが私の個人情報を暴こうとしているのか? これは某ブログ事務局に通報しなければならない事態かも、と考えていたのであります。

Yahooニュースでラマダ閉館を知る

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▲年内の閉館を発表したラマダホテル大阪

そんな悶々とした午後のこと。当ブログのサイドバーに貼り付けている「Yahooニュース」のラインナップに「ラマダホテル大阪12月末に閉館」との報を見つけたのであります。
大阪・中津のラマダホテルといえばかつての東洋ホテル。ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)、ホテルプラザ(既に閉館)と並んで大阪のホテル御三家と呼ばれた名門ホテルです。今でもラマダというより、東洋ホテルの方が地元では通りが良いかも知れません。
プラザに続いて東洋ホテルも閉館か・・・・。私がホテル業に身を置いて以来30年近く、この間大阪はホテルの進出が相次ぎ、絶えず「ホテル戦争」、「ホテルラッシュ」の様相を呈して来ました。もちろん、その裏ではひっそりと淘汰されて行くホテルがあるのも当然のこと。しかし、それが東洋ホテルとあってはやはり寂しさも格別です。

東洋ホテルの想ひ出

東洋ホテルは大阪万博を翌年に控えた1969年に開業。16階建ての堂々たる外観に500を超える客室は当時としては御三家を名乗るに十分な風格を備えていました。加えてこのホテルのバックボーンは住友銀行と並び大阪本拠の都銀として関西では抜群の存在感を誇った三和銀行(当時)とあって血筋も申し分のないものでした。クローバーを模した三和銀行のマークにホテルのHを組み合わせたシンボルマークはそんなホテルの生い立ちを誇示しているかのようでした。

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▲東洋ホテル時代の銘標

そんな東洋ホテルだけに同業者の前には難敵として立ち塞がることもありました。かつて東京で法人セールスを担当していた私も東洋ホテルに悩まされたことは一度や二度ではありませんでした。特に三和銀行系の企業を訪問すると、「うちはねえ『みどり会』のメンバーなんで大阪では東洋さんに泊ることになってまして・・・・」という決め台詞が待っているわけです。ちなみに「みどり会」とは三和銀行系列の企業の親睦組織で、同行のシンボルカラーである緑に由来しているようです。同様の組織として住友系=白水会、三菱系=三金会なんていうのがありましたが、旧財閥の壁を越えた合併が進む今はどうなっているんでしょうか。こんな風に時にホテルは企業グループの象徴的存在にもなるんですなあ。
そんな東洋ホテルも大阪ホテル戦争に疲れたのか2004年には外資系ファンドに身売りし、現在のラマダホテル大阪に看板を架け替えます。当時既に後ろ盾であった三和銀行は東海銀行と合併、UFJ銀行に。みどり会の迎賓館としての役割も終わったのかも知れません。
しかし、ラマダホテルとなってからも積極的な営業が目をひいていました。特に独創的な商品企画力は傑出しており、情報発信力は大阪のホテルでもトップクラスでした。奇抜なイベント、新鮮なメニューなどマスコミにも絶えず取り上げられていたように思います。それだけに今回の閉館発表は残念です。刀折れ矢尽きた、ということなんでしょうか。
報道によると閉館の理由は築後40数年を経た建物の耐震強化など改修費を賄えないためだそうです。客室稼働率は概ね80%であったといいますからホテル業というのが如何に儲けの薄い商売であるかを象徴する話しでもありますね。しかし、この耐震性強化という課題は他のホテルにも重くのしかかりそうです。特に神戸、大阪地区のホテルは阪神淡路大震災でダメージを受けているホテルが少なくありませんので深刻な問題です。

休眠ブログにアクセス集中のわけ

さて、話しはYahooニュースに戻ります。
該当ページを見ていて驚きました。「ラマダ閉館」の関連サイトとして8年前に某ブログにアップしていた記事にリンクが張られているのです。某ブログ事務局から頻々と送られて来るアクセス状況通知メールの元凶はここにあったようです。それにしても凄い数です! 24日の昼頃から日付が変わるまでに受け取った通知メールは32件。1000アクセスごとの通知ですから、なんと半日で32000件のアクセスを記録したわけです。10年近くブロガーをやっていますが、もちろん初めての経験です。これまでも偶々テレビ番組の内容と重なったことなどで一時的にアクセスが伸びることはありましたが、今回は正しく桁違い。幸いにしてワケのわからないコメントもありませんでしたが、正に休眠ブログが突然火を吹き上げたかのようです。それにしても怖ろしいのはYahooニュースの威力です。末端のリンク先までこれほどの波が来るんですからいったいどれほどの閲覧数があるんでしょう。
今となっては当該記事をソネブロに移行しておけばよかったと後悔しきりでありますが、ラマダ効果はこちらにも波及しており「ラマダホテル大阪宿泊記」(2009年4月22日付)にも多数ご来訪いただき、サイドバーのGEOTARGETINGのグラフも6月24日分はピーンと伸びております。ブログというものが日々の時勢を反映するもんだという事をあらためて実感した1日となったのでした。

そんなわけで今日は私の思い出話と、ちょっと自慢めいた話に長々とお付き合いいただくこととなりました。最後までご清聴いただきありがとうございました。


 


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特派員報告 東京ステーションホテル復活 [ホテル(その他)]

鉄道の日を記念して

久しぶりに本誌東京特派員からタイムリーなレポートが届きました。今回は今話題の東京駅赤レンガ駅舎であります。
およそ5年の復原工事を経て10月1日にオープンを迎えた赤レンガ駅舎についてはマスコミをはじめ多くのブロガーさんたちも挙って取り上げていらっしゃるので本誌においては赤レンガのキーテナントとも言える「東京ステーションホテル」にフォーカスを当てて取り上げてみました。
※最初におことわり。ホテル内部のレポートはございません。オープン直後のこととて物見遊山のアポなし取材の相手などしてもらえなかったようです。

空中権売ります

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▲北口ドームを見る

ニュースの資料映像などでお馴染みのアングルですね。「オアゾ」前から見たところですが、「オアゾ」というと旧国鉄本社の跡地に当ります。鉄ちゃんにとっては聖地中の聖地でした。私もホテル屋時代にJR東日本との提携商品の担当だったことがあり、しばしば出入りしていたことがあります。入館証も持っていました。(←ちょっとした自慢)

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▲中央口から南口方向を見る

3階部分が復活し、ずいぶん貫禄が増しました。そして、モチーフになったといわれるアムステルダム中央駅の面影もより強くなったように感じます。ふた昔ほど前なら「西洋文化の模倣」なんて海外メディアに皮肉られていたと思いますが、今は心配ないでしょう。お隣にパクリ大国が出現しましたから。

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▲高層ビルに囲まれて

復原工事に要した費用約500億円は東京駅の持つ「空中権」を新丸ビルなど周囲のビルに売却して捻出したそうです。ここに写っているビルの中にも空中権を買ったビルがあるのかも。いやはや、えらいもんが売り買いされる時代になったもんですな。

新装成った赤レンガについて特派員はこんな感想を・・・・こうなってみると、昔のドームもどきの方が目になじんでた、と思う。全体に、何かよそ行きの感じで、俺の知ってる東京駅ではないような感じ。
確かにわれわれ60'sにとって東京駅というとあの烏帽子のような屋根が思い浮かびます。このドーム屋根が目に馴染むまで時間がかかるかも知れません。

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▲JPタワー

南口の東京中央郵便局改め、JPタワーです。ここも空中権を買ったのかな と思いましたが、そうじゃないみたいです。
低層部がきれいに甦りましたね。大阪中央郵便局も現在取り壊しの最中ですが、こちらは壁1枚がわずかに保存されるだけだとか。 

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▲ホテル玄関付近

これがステーションホテルのメインエントランスです。客室数150室の比較的小規模なホテルとはいえちょっと寂しい雰囲気。おそらく駅舎内で行き来できるサブエントランスがあるものと思われますが。オープン直後の連休中とあって中にも入れない混雑ぶりだったとか。


日本ホテルって?

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▲記念のサインボード

さて、この東京ステーションホテル、運営しているのは日本ホテル㈱という会社だそうです。JR東日本の子会社で関東地区のホテルメトロポリタン、ホテルメッツなどの運営を手掛けています。元はというと1950年に設立された会社ながら、その変遷は国鉄の分割民営化なども絡んでややこしいのなんの。興味のある方はwikipediaを参照願います。

現在のステーションホテルは成田エクスプレスの利用客に限りポーターサービスを提供するなど立地を生かしたサービスにも努めているようです。


ステーションホテルの想ひ出を語る

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▲特派員秘蔵の絵はがき

実は特派員、リニューアル前のこのホテルに宿泊した貴重な経験があるそうです。この絵はがきはそのときせしめたもの。感想を訊くと・・・旅行者が多くて、ざわざわした雰囲気だったような、喫茶も狭苦しくてイマイチだったような気が、、、。暖房がスチームだった気がするが、気のせいかもしれん。外見とかはちょっとあこがれるけど、中身は、、、という感じだったな。あと、部屋がかび臭かったような気がする。

私もかつて宿泊してみようと電話を掛けたことがあります。「宿泊の問い合わせ・・・」と言い終わらないうちに「あいにく全館満室でございます!」。二度とこのホテルに電話はするまいと心に誓いましたね。まあ、当時の東京駅周辺にはホテルが少なく、このホテルも50室程度の客室は常に満室、常連客以外はこんな扱いだったのでしょう。

聞くところでは赤レンガ人気で東京駅の近距離切符は前年同期比4割増、ステーションホテルは年内満室と波及効果も上々だとか。復活した赤レンガの力で鉄道も復権といきたいところですね。


                                                                           写真撮影 本誌東京特派員


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建物の記憶 ~追悼ホテルプラザ [ホテル(その他)]

名門と呼ばれたホテルの最期

先日、娘の学校の入学式が行われた大阪市内のホールの近くで見た光景です。
町並みの向うに衝立のように聳える巨大な建物の上部にはなにやら囲いのようなものが。目を凝らすと壁面はあちこち変色しておりかなり痛んでいる様子が窺えます。娘曰く「幽霊屋敷みたい・・・」。カメラを向ける私に気味が悪いから撮るなと。
この無様な建物がかつて大阪を代表する名門ホテル「ホテルプラザ」だったなんて知ろうはずもありません。

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▲大阪の都心に出現した奇妙な光景

これは1969年~1999年まで30年の間大阪を代表するホテルとして君臨したホテルプラザの解体作業風景なのです。作業は竹中工務店の手で行われており、HAT DOWN工法なる新たな手法により施工されているとのこと。なるほどてっぺんの囲いが帽子に見えなくはありません。元々は23階建だったのでかなり工事が進捗しているようです。
※HAT DOWN工法については竹中工務店のHPに詳しい解説があります。 >>>こちら

現場の仮囲いには竹中工務店によるこんな文章が。

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▲泣かせる文章です

ホテルプラザの何たるやについては私が下手な能書きを並べるよりもこの文章を読んでいただきましょう。消えていくこの建物に、そして、十数年前に突然消えた名門ホテルに対する敬意と惜別の念が滲む文章だと思います。暫く足を止めてプラザの思い出に耽っているとこみ上げるものを感じます。
ちなみにプラザを建てたのは竹中ではなく大成建設です。他社の施工した建物を解体業者がこんな形で送るとは。
「解体されゆく建物の記憶を皆様に感じ取って頂ければ幸いです」。残念ながら私以外に足を止める人の姿はありませんでしたが、私の記憶にはホテルプラザの名は永遠に刻まれております。

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▲正面側(北側)から見た解体現場 駐車場はかつての朝日放送跡地

反対側に回ってみました。かつてこの地にはプラザの他、親会社である朝日放送(ABC)、大阪タワーが立ち並びABCセンターと呼ばれていました。朝日放送は4年前に堂島河岸に移転、大阪タワーも3年前に解体されプラザだけが野晒しにされていました。かつてのライバルホテルが色褪せ、朽ちていく姿を見るのはホテル屋としてはなんとも辛いものでした。また、その巨大さゆえに周囲の景観に与える影響も少なくなかったと思います。ホテル廃業は電光石火で決めておきながら、その後始末には十数年もかける朝日放送の姿勢には疑問を感じずにはいられません。他人事であれば「幽霊ホテルを十年も放置!」なんて取り上げるんでしょう。
現場の掲示では今年秋にはプラザは地上から姿を消すとのこと。竹中工務店にはもう一頑張りしていただいて一日も早くプラザをきれいにしてやって欲しいものです。
なお、かつてのABCセンターに唯一残った朝日放送関連の施設である「ザ・シンフォニーホール」も先頃所有権の売却が発表されました。

解体作業に入る前のホテルプラザの様子は 「ホテルプラザよ永久に」
大阪タワーの解体作業については 「さらば大阪タワー」 をご覧下さい。    

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▲工事を見つめるウエスティンホテル

近所の公園では桜の花が咲き誇っていました。厳しい冬でしたが、黙っていても春は来るんですね。
桜の背後にはウエスティンホテル大阪が。消えゆく先輩ホテルをどんな気持ちで見送っているのでしょう。

今回導入されたHAT DOWN工法は今後建替えラッシュを迎える初期の超高層ビルの解体工事を睨んで考案されたそうです。プラザはそのテストケースということもできます。かつて、日本のホテル業界をリードして来たホテルプラザにとってはせめてもの慰めかも知れません。

 


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パレスホテル東京間もなく開業 [ホテル(その他)]

名門ホテル復活なるか

東京・丸の内の皇居お濠端に23階建ての瀟洒な建物が全容を現した。パレスホテル東京である。パレスホテル東京は1961年開業の旧パレスホテルを2009年1月で閉館し、全面的に建て替えたもの。5月17日に開業すると3年ぶりの名門ホテル復活となり関係者の注目を浴びている。

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▲皇居和田倉濠に面して姿を現したパレスホテル東京、左後方はパレスビル

旧パレスホテルは東京都心に位置し、皇居を臨むロケーションがセールスポイントの一つだった。また、丸の内という立地から財界関係の利用も多く、大手町の経団連会館のケータリング業務も受託するなど企業関係者からは絶大な支持を受けていた。しかし、築後50年近くを経過し老朽化が進んだことから全面改築に踏み切った。3年間営業を休止するというリスクの他、休業中の従業員の処遇など難題を抱えながらの英断である。

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▲取材時には偶然竣工式が挙行されていた

3月8日に竣工式を迎えた新生パレスホテルは先代同様ホテル棟とオフィス棟(パレスビル)からなりホテル棟は地上23階、地下4階建て、延床面積は約62,000平米。客室数は290室と先代の389室から大幅に少なくなるが、1室当りの面積は45平米以上とゆったりしたものとなる。収益の柱になると思われる宴会部門は1,160平米の大宴会場の他7箇所の中小宴会場を備える。各会場とも採光可能なレイアウトになっているのが特徴。婚礼施設はキリスト教式、神式会場をそれぞれ1箇所備える。料飲施設は先代から引き継ぐフランス料理「クラウン」をはじめ和・洋・中、ラウンジ、バーなど計10店舗を揃えて周辺企業の法人需要などの取り込みを狙う。他にもプールを備えたフィットネス施設、ペストリーショップ、地下アーケードなどを備える。

名門復活を賭けた新生オープンだがそのタイミングは決して恵まれたものとは言えないようだ。リーマンショックの痛手も癒えないうちに襲った東日本大震災は東京のホテルマーケットにかつてない打撃を与え都内の高級ホテルは部分休業に追い込まれる施設が相次いだ。さらに今回の欧州経済危機は欧米からのビジネスマンへの依存度が高い東京の宿泊需要に追い討ちをかけている。荒波の中の船出といってもよい。だが、ホテルの名声を勝ち取るチャンスもある。10月に予定されるIMF東京総会である。加盟187ヶ国から2万人が出席するといわれ新生パレスもデレゲーション受け入れを担うことになるだろう。国際的なデビューを飾る千載一遇の好機である。

2ヵ月後のオープンに向け既に各部門とも予約の受付が始まっている。果たして名実ともに名門の復活なるか注目していきたい。

                                            (写真取材:本誌東京特派員)

パレスホテル東京公式WEBサイト http://www.palacehoteltokyo.com/main.php


ヤジウマ目線でパレスホテル東京を見てみると・・・・

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▲重厚な印象の外観

さてさて、新聞調の文章はこれくらいにして、ここからはパレスホテルのニュースリリースを見ながら新しいホテルの様子を覗いて見ましょう。ここからは私の個人的な印象です。

まずはホテル外観から。
先代に比べかなり高層化され、壁面も独特だった黄土色系から白に変わりました。凹凸のはっきりしたファサードはかなり重厚な印象を与えます。周囲が比較的のっぺりしたオフィスビルなので威圧的にすら感じます。

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▲玄関付近 ポールに旗が靡くのが待ち遠しい

続いて各部門ごとに・・・・

宿泊部門
室数290と先代からは100室減少し、その分1室当たりが広くなっています。これは宿泊の営業をかなり頑張らないと。高稼働、高単価両方を維持しないと利益が出ないと思います。その点はホテル側も意識しているのか世界的な高級ホテル予約チェーンLeading Hotels of the World(LHW)に新たに加盟したようです。外国人比率60%を想定しているとのこと。LHWが上手く機能してくれれば良いんですが・・・・・。
主力客室が45平米で正規室料が52,500から。平米単価は約1,167円以上となります。参考までに本誌試算によると帝国ホテル東京は1,443円(本館スーペリア)です。まあ、ホテル屋が言うのもなんですけど今の世の中ホテルの正規料金ほど当てにならないものはありませんが。
それでは実勢価格はどうか。ホテル予約サイト「一休.com」によると正価52,500円(2名利用時室料、消費税込・サ別)のデラックスキングが開業記念プランとして40,000円(同、消費税・サ共)で呈示されております。開業前の強気の価格ですが、それでも約23%割引となっています。
最近の高級ホテルお約束のクラブフロアはもちろん完備。20階以上の74室(本誌推計)がこれに該当し、19階のラウンジでの諸々のサービスが利用できて63,000円から。

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▲宴会・料飲施設が集中する低層階の様子

宴会部門
都市型ホテルの稼ぎ頭である宴会部門。法人需要の多いパレスも宴会部門への依存度は高いのではと推察されます。
2・4階に展開する花の名を冠した8室の宴会場の主力は「葵」。広さは1,160平米と1,500平米以上も珍しくない都内のホテルの中ではおとなしいですね。冷え込んだままの大型宴会需要が回復の兆しを見せない今の状況では賢明な選択かと思います。葵は和田倉濠に面した壁面がガラス張りになっており(上の写真2・3階部分の大型ガラス部分と思われる)、皇居の緑を取り込んで良いムードになるのではないでしょうか。他の会場も全室採光可能です。
ただ、フロアプランを見て懸念を抱いたのが控室となる会場が少ないこと。大宴会場を稼動させるには多くの控室が必要になります。出席者用、VIP用、主催者用と最低3室は必要。全体で8室しかないのに3室を控室で取られては宴会部門は上がったりです。どう対応するのかな。 

婚礼対応としてはチャペル、神殿各1ヶ所。最大の武器は5階のチャペルでしょう。ここも皇居に面してガラス張りになっています。写真5階部分、緑のシートが掛かった部分でしょうね。披露宴会場としては特に人気の高い窓のある宴会場ともども婚礼セールスの強力なポイントになると思われます。従来婚礼には弱いイメージがあったパレスがどこまで巻き返すか楽しみです。

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▲新しいシンボルマークが掲げられた車寄せ

料飲部門
計10ヶ所と地下にも店舗があった先代に比べ集約された印象です。フレンチの「クラウン」など高価格店は周辺の法人需要の取り込みが、カジュアル店も休日の集客がポイントになるでしょう。オフィス街ゆえ先代も休日はかなり静かだったように思います。
あと、これはパレスに限らず最近のホテル全般に言えることですが、コーヒーハウスって呼称を使わなくなりましたね。オールデイダイニングですか・・・・わかったようなわからんような妙な呼称です。コーヒーハウスってそんなに安っぽいですか。コーヒーハウスこそホテル料飲部門の華!って思っているのは昭和のホテル屋だけなんでしょうか。まあ、呼称を弄ったからって集客に影響するとは思いませんが。

その他諸々
ヤジウマ的に好き勝手書きましたが、ホテル屋としては大いに期待し注目しております。パレスのブランドは重いですからね。そのパレスが3年間の眠りから甦るんですから。ダメなら撤退すりゃいいわで乗り込んでくるガイシ系ホテルとは違います。
それにしても閉館中従業員の皆さんはたいへんだったでしょうね。大規模なホテルチェーンなら少人数に分けて各ホテルに派遣できますが、パレスは決して大きなチェーンじゃない。グランドパレス、大宮、立川、箱根と館外レストラン程度。とても旗艦のスタッフを引き受けるだけのキャパはないでしょう。ほんとどうされてたんでしょうか? 今後、東京オリンピックが契機となった第1次ホテルブームに誕生した多くのホテルが改築を迫られるわけで今回のパレスのケースは良い試金石になるでしょう。そういう意味でも注目です。
しかし、そんな身内のことより3年間遠ざかっていた顧客を如何に呼び戻すのかが復活のキーですね。特に大型宴会は時間がかかることでしょう。
名門復活を祈ります。

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▲日々変化する都心のスカイライン

綴じ込み付録


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新旧琵琶湖ホテルを巡る旅 [ホテル(その他)]

湖都の迎賓館、琵琶湖ホテル

夏休みも終盤、大津市は浜大津の琵琶湖ホテルに出かけてきた話。

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▲混雑する新快速は避けて快速でのんびり旅気分

暑いですなあ! 大阪は記録破りの猛暑日が続いておりました。このままでは焼け死んでしまいます。 「どこか涼しげなところで美味しいものでも」 と企みまして琵琶湖畔の琵琶湖ホテルにお昼を食べに行ってきました。このホテルの「琵琶湖ホテル倶楽部」に登録していると毎年誕生日プレゼントに宿泊、飲食の優待ハガキを送って来てくれます。今回はそれを利用してごちそうに有りつこうという算段です。

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▲淀川を越え、フレートライナーに抜かれ・・・・

大阪駅からは混雑している新快速は避けて快足とはいえない快速で大津へと。途中踏み切り警報ボタンの発報で足止めを食い、フレートライナーや新快速、はるか、サンダーバードに抜かれ大津には定刻より8分延着。それでも私鉄乗継に比べ半分程度の時間。やっぱりJRは速い!


◆今の琵琶湖ホテル

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▲琵琶湖ホテル正面(南側)☆

県庁所在地とは思えない静かな大津駅からタクシーでワンメーターの琵琶湖ホテルに着いたのは13:30頃。レストランの予約時間ギリギリです。
女性アッシャー(ドアマン)が迎えてくれます。さすがに湖都の迎賓館、必要なサービスはキチンと手抜かりないようです。

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▲一方レイクサイド(北側)はこんな感じ

琵琶湖ホテルが現在の浜大津に移転して来たのは1998年のこと。設計は巨匠シーザー・ペリが担当しています。正面側はブルー系グラデーションの壁面に丸窓を配した良くも悪くも印象的なデザイン。一方、客室が並ぶレイクサイドは一転してリゾートマンションを思わせるおとなしい外観です。なぜ、ここまで拘った建物となったのかは後ほど。

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▲エントランスとロビー☆

今回お邪魔したのはブッフェレストラン「ザ・ガーデン」。湖畔に面した明るいレストラン。席もガラス張りのレイクサイドのテーブルを用意してくれました。
お客さんの入りはというとテーブルが6・7割埋まる程度。夏休みの土曜としてはちょっと厳しいかも。いらぬ心配をしてしまいます。
このレストランではバースデー優待の場合料金割引の他、食前酒またはジュースをサービスしてくれるとのこと。昼間なのでジュースを選択。下の画像のとおりタンブラーに半分。何とも寂しい量です。せっかくのご厚意、野暮なことは言いたくないですが、この辺の見極めは大事だと思います。

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▲夏季はアメリカンフェアー実施中

さてさて、料理の内容はというと可もなく不可もなくという感じ。料理の選択肢はもう少し欲しいかなというところ。それでも娘は自分で作ったハンバーガーを満足気に食べておりました。他にも自分でサーバーを操作するソフトクリームなど子供を意識した工夫が見られました。私のお気に入りはフローズングレープフルーツのゼリー寄せ。凍らせたグレープフルーツの食感が昔懐かしい冷凍みかんを思い出させてくれました。

ランチの料金は2500円(税・サ別)。バースデー優待だと土日祝は25%割引、平日はなんと50%割引です。太っ腹であります。さすがは京阪グループです!
今日は土曜日につき25%割引を適用してもらいご馳走様!

なお、ホテルの詳細、琵琶湖ホテル倶楽部に関しては<琵琶湖ホテルHP>をご覧下さい。


◆かつての琵琶湖ホテル

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▲こちらは旧琵琶湖ホテル

せっかく大津まで来たことだし、どこか散歩でもというか最初から仕組んでおいたとおり旧琵琶湖ホテルを見に行くことに。浜大津から堅田駅行のバスで約10分、柳が崎バス停下車徒歩5分ほど。現在の「びわ湖大津館」こそが1998年まで営業していた先代琵琶湖ホテルなんです。一度来てみたかった!
1934年(昭和9年)、外国人旅行者の誘致を図る国策に沿い開業した琵琶湖ホテルのルーツを見ることができるんです。設計は中之島公会堂の原案や先頃閉館した歌舞伎座を担当した岡田信一郎に委ねられたそうです。そういわれれば歌舞伎座によく似ています。まあ、桃山破風造という様式を取り入れれば自ずと似てくるんでしょうね。

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▲ロビー正面の階段

正面玄関を入ると真紅のカーペットとご覧の階段が迎えてくれます。往年の“グランドホテル”を髣髴とさせる一シーンです。左右のエレベータや決して華美でない照明もいい味出してます。
建物の規模は地上3階、地下1階建。開業当時の客室数は38室とのこと。なお、このホテルの歴史については上記琵琶湖ホテルHPに詳述されています。

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▲ロビー全景と琵琶湖を望む多目的ホール「桃山」

浜大津への移転、新築をもってホテルとしての役割は終止符を打ち大津市に譲渡され改修工事を行った後多目的集会施設として再デビューを果たしています。
われわれが訪れたときも数件の会議が入っていたようです。鍵が開いていたホールに潜入するとディナー形式のセッティング。婚礼にも利用されるようです。

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▲ホテル時代のキーボックス

現在も受付として使用されているかつてのフロントカウンター内にはキーボックスが残されていました。昭和天皇、ヘレン・ケラー、ジョン・ウエインも宿泊したとか。

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▲いずれも展望バルコニーから

館内には他にレストラン、喫茶コーナー、売店などが設けられています。2・3階からはバルコニーに出ることもでき湖都大津の中心部を琵琶湖越しに一望することができます。現在の琵琶湖ホテルも真正面に。

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▲玄関ドアガラスにはホテルのエンブレム

湖畔にも出ることができそうなので側面のサブエントランスを通ると旧ホテルのエンブレムを見つけました。アップで撮ろうとしたら自動ドアが開いてしまうのでこんな感じになりました。

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▲湖畔側からの全景

浜辺から見ると写真などでよく見かけるシーンが。湖畔に建つ桃山造りの建物は強烈な存在感を放ちます。2代目の新築に当たり気合が入ったのも納得できます。故に2代目の外観は奇抜ともいえる意匠となりましたが、館内は旧ホテルと比して違和感のない落ち着いたムードを提供できるよう配慮したとのこと。

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▲江若バス琵琶湖景観塗装車(浜大津)

琵琶湖の水も温かいほどの暑さに音を上げ帰るとします。
大津駅行の江若バスは琵琶湖の景観をデザインしたボディでした。年式は古いものの貸切兼用のワンロマ車。エアコンのありがたさに感謝しながら浜大津まで。

浜大津といえば大津市の中心だったはずですが、その寂れぶりは目を覆わんばかり。人がいません。駅前のOPAも撤退し空いたフロアの大半は市の施設が穴埋めしている様子。都心空洞化の典型を見る思いです。

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▲帰りは京阪京津線で(浜大津)

帰路は趣向を変えて京阪京津(ケイシン)線経由で帰るとします。大学時代、鉄道研究会の年間研究テーマに京津線を選んだことがあります。30年近くも前の話。その京津線ともしばらくご無沙汰しておりました。
当時とは大きく様相が変わっています。京都市営地下鉄東西線との直通に伴い否応なしに変えられたと言っても良いでしょう。京都都心直通と引き換えに運賃は実質値上げ。地下深くに設けられた駅のお陰で不便になった三条での乗換えなど数々の不便を強いられることになりました。コンクリート重視の行政に憤りを感じます。

それでも地下に入るまでは懐かしい車窓を楽しめます。逢坂山越えの停車駅ではドアが開くとヒグラシの声が聞こえます。この瞬間は暑さを忘れほっと一息つけました。

さあ、明日からの9月も容赦のない暑さが続くようですが、もうしばらく辛抱しましょう。

記事中☆印を付した写真は過去に撮ったものを再掲しました。


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USJの新規ホテルは・・・ [ホテル(その他)]

ユニバーサルシティ駅前の現場は・・・

平成20年4月5日付 「USJに5軒目のホテル」 でお伝えした「ベストウエスタンプレミアホテル大阪ベイ」プロジェクトの続報です。
当時の報道では平成21年7月開業予定と報じられていましたが、半年を経過した今も開業する気配は全くありません。
昨夏来気になっていましたのでネット上で随時検索してきた結果は以下のとおりです。
・元請のゼネコン「りんかい日産建設」の経営破綻の影響で着工が遅れ、開業も平成22年3月頃になる見込み。
・経済環境の悪化を受け開業は平成23年にさらにずれ込む予定。
ということがわかっただけ。
運営主である㈱ランドーナージャパンのニュースリリースは安全祈願祭の挙行を伝えた時点でストップした状態。「ただ今調整中」を表示しているだけの無責任状態。(運営ホテル一覧には「平成23年開業予定の告知あり)

これではパソコンの前に座っていても埒が明きません。さっそく現地に飛びました。


◆現地で見たものは

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▲「平成21年7月OPEN予定」 いつまで放置するのか

JRユニバーサルシティ駅の東側、つまりUSJのゲートとは反対側に出ると駅の正面にそれらしき土地があるものの資材置き場にしか見えない。ホテルユニバーサルポートの隣接地なのでここで間違いないはずだが、およそ2年近く前に着工している現場には見えない。不思議に思いながら近付くと塀には上の画像の看板が。やはりここで間違いないようだ。
資材置き場に見えたのは気のせいで、道路面より数メートル下の敷地からは1・2階分の鉄骨が立ち上がっている。まさかこの程度の進捗状況とは! 少なくとも骨格程度はできていると想像していたのだが。

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▲一見したところ資材置き場・・・

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▲わずかに鉄骨が顔を出している

さらに塀に沿って歩くとおなじみの「建設業許可票」が。ところが、代表者欄には保全管理人の名前が記されている。やはりゼネコンの倒産が尾を引いているのだろうか?

そして、工事車両用ゲートの扉に掲出された看板には「SBCリアルター㈱ 管理地」の表記。初めて耳にする会社なのでネットで検索すると東京の不動産仲介業者だった。主に取り扱っているのは都内の中小オフィスビルのようで、なぜこのような大阪の大型物件に絡んでいるのか不思議ではある。

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▲果たしてホテルはできるのか

ビルの建築計画を知る上で最もあてになる「建築計画のお知らせ」も掲示されていない。(昨年末頃まではあったようだが)
平日の午後だというのに作業員の姿も車両の出入りもなく残念ながら工事は中断しているようだ。

現地を見ての推測だがどうやら新たなスポンサーを探しているように思えた。スポンサーが変更となればブランドの変更もあり得るだろう。来年開業の予定もどうなることか。ベストウエスタンは夢と消えるのか・・・・。

 


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