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創刊100号&上越新幹線開業25周年記念企画 [鉄道の旅]

お陰様でホテル&トラベルジャーナルは今回で創刊100号を迎えることができました。これも偏に私の思いつきブログにお付き合いいただいた皆々様の温かいご支援、ご鞭撻の賜と編集者一同(といっても一人ですが)衷心よりの感謝を申し上げる次第であります。
偶然ではありますが、奇しくも今日11月15日は上越新幹線開業25周年に当たります。そこで100号記念企画として上越新幹線開業初日の下り1番列車「とき301号」の模様を再現してみたいと思います。
なお、当企画は6月23日の東北新幹線開業記念記事の中でも予告させていただいたとおりです。


▲このとき使った一筆書き乗車券と帰りの「きたぐに」急行券 肝心の特急券が行方不明


それでは25年前にタイムスリップいたします。
私は大学1回生、髪の毛ももちろん十分に茂っておりました。
東北のときは悪友Kと二人組でしたが、凱旋したわれわれの勇姿に憧れたのか、今回はイヌとタコがお伴したいと参加し4人組となりました。各々京都を出発し、11月14日23時に大宮駅に集合ということで。私は途中、東京・町田の親戚宅に1泊して関東の電車を乗り歩いた後集合場所へ。行列が自然発生的にできてはおりましたが、20人程度。それでも心配性な誰かが駅員さんにどこが先頭なのか、他に行列を作っているグループはいないのか詰め寄っておりました。仕方なく駅員さんは雑踏整理を始めました。われわれ4人組は順番に仮眠を取る予定でしたが、コンクリートの床の冷たさを甘く見ており眠れず断念。ウダウダと時間が経つのを待ったのでありました。

晴れて翌朝、5時半頃だったでしょうか改札がオープンし整然と新幹線ホームへと向かいます。東北のときも肩透かしを食いましたが、今回はもっと少ない初乗り組。新潟側はもっとヒートアップしているのでしょうが。いま一つ盛り上がりに欠ける中、唯一目立っていたのがダンボールでできた新幹線のかぶり物のセーネンでありました。熊谷高校と書いてありました。そして、次に目立っていたのがわが4人組であります。この日のためにというわけではありませんが、鉄道研究会で作ったオリジナルブルゾンを着用していたのでありました。それが目に付いたのでしょう、マスコミのインタビューを何件か受けました。OAされたかどうかは知る由もありません。唯一確認できたのは「鉄道ジャーナル」誌の誌面を汚すわれわれの写真でありました。(No.192 P11をご参照いただきたい)


▲「鉄道ジャーナル」誌面 ブレブレですみません。

さて、「とき301号」が入線、慌てることもなく自由席に楽々着席。まだ、発車しないうちに疲れたのか安心したのかメンバーの一人イヌは眠っております。・・・・いったい何しにここまで来たんや?例によって鉄道唱歌に送られ大宮を発車、車内放送が入りましたが、寝ぼけていたのか緊張していたのかカレチ氏は噛みまくって何とも要領を得ない放送となっておりました。それでも「とき301号」は関東平野をどんどん北上して行きます。高崎も過ぎ山岳区間に入ると長大トンネルが続きイヌの他にも寝不足がたたって次々に睡魔の誘惑に呑まれていったのでした。目を覚ましてくれたのはラジオジャパン(NHK国際放送)のインタビューでした。マイクを向けられると4人組は学生らしく口々に「田中角栄絡みの政治路線だ」とか「なぜ、浦佐などに新幹線が停まるのか」と批判めいた意見を述べております。(その政治路線に嬉しそうに乗りに来ている自分たちのことは棚に上げて)。
その浦佐を過ぎると沿線は見事な穀倉地帯であります。さすがに米どころ新潟ですな。
定刻に新潟駅に滑り込んだ「とき301号」から降り立ったわれわれを待ち受けていたのはNHK新潟放送局の取材クルーでした。「ちょっと、こちらへ来ていただいてインタビューをお願いできますか」と丁重に先頭車横まで連れて行かれ今まで同様のインタビューにやや緊張気味の面持ちで再び「政治路線」をぶつわれわれでありました。

この後の始末記はまた後日。

 


タグ:新幹線 国鉄
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コメント 6

岸田法眼

100号おめでとうございます。

上越新幹線は開業25周年を迎え、先日、復刻カラーで臨時〈とき25号〉が大宮始発で運行されましたが、なぜか情報を入手しておらず、行っておりません。不覚ですね。

トンネル工事のトラブルで、東北新幹線と同時開業はなりませんでしたが、日本の鉄道も大きく変わりました。

当方も上越新幹線20周年時の模様を準備しておりますが、25年は早いものですね。
by 岸田法眼 (2007-11-16 23:05) 

サットン

岸田法眼さん、毎度ご来訪ありがとうございます。

お陰様でようやく100号となりました。貴兄も忘れておられたように上越新幹線は東北の約5ヶ月後の開業ということで影が薄いようですね。事実私も忘れかけていました。

今後ともよろしくご愛読のほどお願いいたします。
by サットン (2007-11-18 00:07) 

100号おめでとうございます。
そして、ちゃっかり200nice!の席をいただきました♪

私の人生の中で、新幹線が入る想い出は
早期選抜試験で、1泊2日で岡山大学に行った時乗車した
300系ですね。新神戸の駅で心臓ドキドキの状態で
列車を待っていた時、クラスメートが見送りに来てくれたのは
今でも忘れられませんね。

それから無事岡山大学に入学し、N700系以外の新幹線は
全て乗車しました、鉄道好きの私にはたまらなかったですね。

300系が淘汰されていくのは、私の中では
想い出が消えてしまいそうで寂しいですね。
by (2007-11-18 00:58) 

サットン

Sanohpyさん、毎度ありがとうございます。

お陰様で気が付けば100号です。
200nice!大当たりです!なにか賞品を差し上げたいところですが。

新幹線との思い出は300系からですか。私にとって300系との出会いは大阪での結婚式後東京に戻るときに乗った運転2日後の「のぞみ」です。「ひかり」と較べ時間と走行位置とのズレが随分大きかったように覚えています。
by サットン (2007-11-18 11:03) 

UZ

開設100号目おめでとうございます。

上越新幹線は新潟在住時に東京出張、大阪への帰省時にしばしば利用しました。初代Max狙い(指定席の1人がけ席がありますから)でよく利用していましたが、200系更新車も未更新車も乗った事があります。

かつて新潟は”遠い”というイメージが先行していましたが、私がいた時分で人口が50万人を突破しましたし、現在では政令指定都市になっています。新幹線の存在も大きいのではないでしょうか。

今後は速度や乗り心地の向上に力を入れたり、庄内地方への延伸等も検討すべきではないでしょうか。北陸新幹線開業後から検討するのではなく、今からでも考えるべきですね。
by UZ (2007-11-18 20:35) 

サットン

UZさん、こんばんは。

上越新幹線にも長らく乗ってないので現状がどうなのか詳しくは知らないのですが、東京ー新潟間にそれほどの旅客流動があるとは思えません。途中に大都市があるでもなく。今後の展開を考える必要はありそうですね。
by サットン (2007-11-18 21:23) 

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