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能勢電に乗って疫病退散 [鉄道の旅]

コロナなんてぶっ飛ばせ!


またまた長期の休眠状態を続けてしまい申し訳ありません。

5ヶ月ぶりの記事はいつものとおり地元能勢電ネタであります。

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▲今夏の風鈴電車 テーマは疫病退散

新型コロナ禍が収束しないままに迎えることになった2020年の夏、いろいろな意味で「いつもと違う夏」になってしまいました。
そんな中、能勢電が疫病退散電車を走らせているとのことで、遅まきながら様子を見に行って来ました。

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▲2020年の風鈴電車を担うのは1755F(日生中央)

この疫病退散電車は能勢電が毎夏走らせている車内に特別装飾を施した風鈴電車の今年のテーマが「疫病退散」となったものです。
今夏の風鈴電車を担うのは1700系(元阪急2000系)1755Fの4連です。疫病退散のご利益があるという妖怪アマビエさんをデザインしたヘッドマークも掲出しています。
その運用は能勢電のHPで公表されており、この日は日生線の区間運用に就いているとのこと。つまり、日中はわずか一駅間の日生線をちょこまかピストン運転しているだけなので、これなら時間を気にすることもないと、凶暴な日差しが照る中、山下駅に向かったのでありました。

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▲短冊と風鈴が天井を埋める車内

山下のホームで待つこと暫し、「疫病退散号」とご対面です。4連の中間2両の車内は無数の短冊や風鈴で装飾されています。短冊は全国から募集したものなんだそうです。ここまでは例年の風鈴電車と変わらないんですが、短冊の内容が「コロナに負けるな!」といったコロナ絡みのものが大半であることと、アマビエさんのイラストが添えられている点が今年を象徴しています。

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▲短冊にはそれぞれのアマビエのイラストが


◆1700系のこと

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▲昭和38年製造か・・・・

さて、今回風鈴電車の任に就いた1700系ですが、阪急からのオールドルーキー5100系や7200系の投入が続き、残るは4編成(多分)のみとなっているようです。能勢電に来てからも既に30年、製造からは約60年と長期に亘っての活躍が続いていますが、そろそろ終焉のときが近付いていることは確かでしょう。


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▲広幅貫通路の名残

古き良き時代の阪急電車を偲ばせるベテランに会えるのもそう長くはないかも知れません。あの特徴的なコンプレッサーのサウンドが耳を楽しませてくれるのも今のうち。今年の秋は能勢電を訪ねてみては如何でしょうか。

なお、疫病退散号の運転は9月7日までとなっておりますのでご参拝はお急ぎ下さい。

ご参考 過去の能勢電装飾電車の記事もございます。
    2012年 お正月バージョン >コチラ
    2014年 夏バージョン >コチラ
    2015年 お正月バージョン >コチラ


お忙しい中、ここまでお読みいただきありがとうございます。ついでにもうちょっとお付き合いいただければ嬉しいです。まあ、愚痴ですが・・・・・。
冒頭に書いたように「いつもと違う夏」が展開しておりますが、私の周囲でもいろいろと起こっております。
まずは自然災害。7月の長雨が続いた後、自宅に隣接する山の斜面が崩落、土砂や倒木が家の間近まで押し寄せて来たのです。いやあびっくりしましたよ。物的被害は幸いになかったものの、その日は半日断水。家の前の生活道路は1ヶ月の間通行止めとなり不自由な生活となりました。その後はみなさんご承知のとおり記録的猛暑・・・毎年記録を更新しているような・・・が9月に入っても続いております。関西の軽井沢といわれる能勢地方ですが、堪える暑さです。それでも下界に比べ3度は気温が低いため、猛暑日、熱帯夜は概ね免れているのは幸いです。
続いて健康面。10日ほど前のこと右足親指が腫れ始め歩くのも困難になったため外科を受診。深爪をした際に傷口から雑菌が入ることによるひょう疽とのこと。その場で爪を剥がされ患部は今も包帯でグルグル巻きです。
それから・・・もう止めておきます。記事本編より長くなりそうです。
それではみなさん、コロナや熱中症に負けずに残暑を乗り越えましょう。

タグ:能勢電鉄
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能勢電山下駅の発車標を更新 [鉄道の旅]

パタパタからLCDに換装

すっかり更新が滞っておりましたが、その反省も込めて今回は足で稼いだネタをお届けいたしましょう。それも地元能勢電のこてこての地ネタであります。

先日(4月8日)、山下駅の改札口、及び乗り換えコンコースの発車標が従来の反転フラップ式(通称パタパタ)からLCD式に取り換えられているのを確認しました。明確な時期は不明ですが、1月3日に訪れたときはパタパタが稼動していましたので、ここ3ヶ月の間に換装されたと思われます。なお、ホーム上のものはこの時点ではまだパタパタが健在でした。

これで能勢電の発車標設置駅4駅の布陣は、川西能勢口駅(阪急と共用)=改札口:LCD、ホーム:LED。平野駅=ホームのみ:LED。山下駅=改札口・乗り換えコンコース:LCD、ホーム:反転フラップ式。日生中央駅=ホームのみ:反転フラップ式 改札口、ホームともにLEDとなります。

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▲改札口 外国語対応は英語のみ

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▲乗り換えコンコース


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▲ホーム上のものはパタパタが健在

備考欄の「1号線経由の日生中央行きです」の意味がわかるのは地元民か一部の鉄だけでしょう。その答えは→こちら

LCD式の発車標、出回り始めたころは綺麗で見易くていいなあと思っていましたが、普及が進むと勝手なもので、なんだか綺麗にまとまり過ぎていておもしろみに欠けるなあと感じてしまいます。変換時に隠し技が垣間見える幕式や反転フラップ式が楽しかったなあって。

以上、能勢電のジャンクション山下駅の話題でした。


☆追 記

この日(4月8日)は新型コロナにかかる緊急事態宣言が発効した日。大阪府もその指定地区に含まれています。良識ある市民は不要不急の外出は控えないといけません。私は月に一度の通院日がたまたまこの日に当たっていましたので遠慮なく出掛けて来ました。それでも何時もは患者で賑わう医院の待合室も駅のカフェもガランとしており確かに異様な雰囲気。電車で着席するにも前後左右の間隔に気を遣うなどピリピリした緊張感に寄り道もせずとっとと帰宅したのでありました。
コロナ禍、一日も早く収束してもらいたいものです。このところ自粛だ忖度だと息苦しい言葉が蔓延る世の中に正直うんざりしております。コロナが一段落した後にはこの国のかたちも考えなければと思う春の日であります。

☆追記2
山下駅ホーム上のパタパタは6月10日現在も健在です。

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700系東海道引退に寄せて [鉄道の旅]

印象は薄かったけれど

新幹線700系車両が東海道から撤退したそうです。本来であれば来る3月8日に華々しくさよなら運転が挙行される予定だったものが例の新型コロナウイルスの蔓延に伴う自粛の嵐の煽りを受けて一連の引退行事は中止となり、結果的に3月1日の運転が最後になったとか。まるで「卒業まであとX日」と教室でカウントダウンを刻みながらアベさんの決断とやらで一気に卒業扱いされてしまった生徒諸君のようではないですか。

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▲2009年6月 ひかり495号乗車時(新大阪)


正直、私の東海道における700系に対する印象は300系とN700系の繋ぎ役という感じで取り立てて思い出もなく、むしろ山陽区間のレールスターの方に親しみを感じるというのが実感です。
そんな700系の中途半端な引退の報を聞きなんとも不憫を感じるのであります。そこでせめてもの餞にと古い画像を引っ張り出してみました。

◆鳥飼基地に憩う700系

私と700系との接点というと乗車体験よりも大阪モノレールの車窓から見下ろす鳥飼基地で昼寝をするその姿を眺めるというものでした。
それでは見ていきましょう。当たり前ですが、時期によって鳥飼の顔ぶれが変わっていくのがおもしろいところです。いずれも大阪モノレール摂津ー南摂津間の車窓から撮ったものです。

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▲2007年2月

N700系が就役前ということで700系の最盛期といって良いでしょう。

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▲2010年3月

300系、700系、N700系がバランスよく並んでいます。

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▲2013年2月

300系は既に引退した後です。700系とN700系の勢力が拮抗している頃ですね。
下の写真には珍しくJR西日本のレールスターの姿が。

鳥飼に憩う顔ぶれ、5年後、10年後にはどう変化しているのでしょう?

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▲2007年2月 東海道本線東静岡付近

珍しく走行写真も撮っていました。富士山を遥かに望み疾走する700系です。でもよく見るとJR西日本のB編成のようです。

今回の引退はあくまでJR東海所属の700系、及び東海道新幹線区間での運用で、JR西日本所属の700系による山陽新幹線内での運用はまだしばらく残るようです。

おつかれさん、東海道の700系!

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平成最後の18旅 ③/特急こうのとりでワープ [鉄道の旅]

3本の特急列車が集う駅

令和の時代にお届けする平成最後の青春18きっぷの旅、といいたいところですが、いけません・・・・。(これは平成31年4月9日の乗り鉄の記録です)

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▲3本の特急が並ぶシーンは壮観

福知山までやって来ましたが、和田山まで好調を維持していた体調がここに来て芳しくありません。ここは当初の18きっぷ旅からいったん離脱し特急列車のお世話になることに。
特急といえばここ福知山駅ではこんな壮観な光景が。3本の特急列車が頭を揃えて並んでいます。今時在来線の特急が3本も並ぶシーンが見られる駅も珍しいですね。
左から「はしだて7号」天橋立行き、「こうのとり22号」新大阪行き、「きのさき18号」京都行き。


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▲こうのとりは城崎温泉始発、きのさきは当駅始発

これは福知山が「北近畿ビッグXネットワーク」の結節点としての機能を担っているため。京都・大阪方面と城崎温泉・天橋立方面の列車を相互に福知山で接続させ乗換えの便を図ろうというものです。福知山で乗り換えても特急料金は通算される仕組みです。今回の例では城崎温泉方面から京都方面に向かう乗客が「こうのとり」に乗車し、福知山で「きのさき」に対面乗り換えすることで直通に近い利便が図られるわけです。この北近畿ビッグXネットワークという名称、最近は耳にしませんね。
この理屈でいうと4列車が並ぶこともありそうですが。時刻表で確認しましょう。

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▲こうのとり22号は287系

特急列車より取り見取りという感じの福知山駅ですが、私は「こうのとり22号」に乗ります。287系4連の身軽な特急列車です。しかし、最近のJR西日本の特急は似た顔が多くて面白くないですな。ヘッドマークもないし。そういえば「はるか」の新車271系も287系にそっくりですね。

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▲JR西名物 幕+LED

ヘッドマークはありませんが、側面表示はしっかりしています。もっとも、最近の車両では列車名・種別もLEDに変化しているようですが。

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▲ガラガラの車内

16:44、定刻に福知山を発車。城崎温泉始発の車内はというと気の毒なほど空いています。カニかにシーズンも過ぎ、春休みも終わったこの時期はこの程度なのでしょうね。この先、まとまった乗車が期待できる駅もなく、大阪までこの状態で行くものと思われます。それだけに私が投じた乗車券・特急券2290円は売上げに貢献したことと思います。

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▲Aシート?

287系の車内はというと良くも悪くもJR西日本の特急型標準仕様です。ずらりと並ぶリクライニングシートはAシートのものにそっくり。ぱっと見たところではAシートでは省略されたインアームテーブルが目に付く程度です。

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▲福知山線も桜が満開・・・柏原(かいばら)付近

さて、走りっぷりの方ですが、これが意外と飛ばします。篠山口以北の単線区間でもスマホの速度計アプリでは120km/hと計測されました。いまだに福知山線というと旧客や気動車がのんびり走っていたローカル線という印象が拭い切れていません。
「こうのとり」とは17:45着の三田でお別れ。


◆最後は各駅停車で

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▲〆はやっぱり各駅停車

平成最後の18きっぷ旅を謳った以上ラストはやはり各駅停車で締めようと思います。学生風の若者達で賑わうホームで待つこと暫し17:51の高槻行きに乗車。宝塚までは電化と同時に付け替えられたトンネル区間を走ります。旧線時代の武庫川の流れに任せて渓谷を行く車窓が懐かしく思い出されますが、武田尾、西宮名塩と半トンネル駅が続く新線もなかなか見応えがあります。

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▲7時間ぶりに川西池田に戻る

阪急平井車庫のマルーン軍団を横目に18:21、スタート地点である川西池田に戻って来ました。川西池田出発が11:22でしたからちょうど7時間ぶり。日も落ちかけた中、川西能勢口駅へと向かったのでありました。

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▲久しぶりの18きっぷ旅に満足、満足

絶好調だった体調と頂き物同然の18きっぷに誘われて久しぶりに決行した乗り鉄旅。調子に乗り過ぎたためか、後半は調子を崩してしまいましたが、沿線の桜も満開、天気にも恵まれ楽しい1日となったのでした。

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平成最後の18旅 ②/国鉄型で行く播但線の旅 [鉄道の旅]

桜満開の陰陽連絡線を行く

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▲ローカル線の国鉄型といえばコイツ(寺前)

令和の時代にお届けする平成最後の青春18きっぷの旅も新快速Aシートのお試し乗車を済ませ姫路にコマを進めております。(※この記事は平成31年4月9日の乗り鉄記録です)

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▲新装なった姫路駅ビル

名物「駅そば」で燃料補給も済ませましたので、ちょっと駅前を散歩してみましょう。10年ぶりに訪れた姫路ですが相変わらず活気を感じます。駅構内は多くの人で混雑し、駅前も内外からの観光客らが行きかいます。民衆駅(←死語)という表現がぴったりだった駅ビルもすっかり装いを改めております。

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▲眺望デッキより姫路城を望む

姫路といえばやっぱり世界遺産姫路城でしょう! 駅ビルにはずどーんと天守閣が見渡せる眺望デッキが設けられております。駅前大通りの真正面に世界遺産。これほど豪勢な駅前風景を私は他に知りません。
しかし、残念なことも。写真右側に見える屋上の赤い看板、「ヤマトヤシキ」のものです。「ヤマトヤシキ」? なにそれ?と思われる方も多いでしょう。奇妙な名前ですが、姫路の老舗百貨店です。駅前の山陽百貨店とともに姫路の流通業界を代表する存在でしたが、惜しくも2018年、閉店してしまいました。(加古川店は存続)

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▲姫路といえば神姫バス

そして、姫路といえば忘れてならないのが神姫バスです! 姫路市営バスなき今、播州地方の路線バス網を一手に担います。駅前のバスターミナルに次々に雪崩込んでくるオレンジ軍団は姫路のもう一つの顔といっても良いでしょう。


◆播但線5635M(姫路ー寺前)


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▲播但線・姫新線は中間改札を抜けて

姫路からはローカル線ムードを求めて播但線で北に進路を取ります。播但線のホームに上がるには姫新線とともに中間改札を通らねばなりません。なにやら隔離されているような感じがします。地平駅時代も播但線は東1番乗り場、姫新線は西1番乗り場という半人前のようなホームに発着していました。ホームに上がると乗り場は長いホームを播但・姫新両線が東西で使い分けるという一風変わった配置になっており1面4線の構成。

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▲国鉄型のお出まし

そのホームには13:52発普通列車寺前行きが既に入線しております。車両はもちろん103系の2連。播但線が寺前までとはいえ電化されると聞いたときには驚いたものですが、この103たちもワインレッドを身にまとい、播但線を走ることになるとは思ってもいなかったことでしょう。
大勢の立ち客が出た状態で姫路を発車、姫路城を左手に見て進みます。直流モーターのサウンドが心地良いですなあ。車内も落ち着いた6駅目の溝口までが姫路市内。姫路市もだだっ広くなったものです。車内も車窓もすっかりローカルムードになった14:33電化区間の終点寺前に到着です。


◆播但線「快速」1237D(寺前ー和田山)


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▲快速長谷通過号!?

国鉄型の電車、気動車が顔を合わせる寺前から乗り継いだのは快速列車。実は今回の行程を組んでいて初めてその存在を知ったのでした。そもそも閑散区間に快速を設定するメリットがあるのかどうか気になるところではあります。

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▲103系に見送られて寺前発車

キハ41単行の快速は14:35寺前発車。車内は各ボックスに1人~2人という乗り具合。この列車にもインバウンド観光客の姿が。私は後部運転台にかぶり付きます。

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▲座席の約3割が埋まった車内

さて、快速を名乗るからには主要駅のみ停車するのかと思いきや、通過するのは寺前の発車標に表示されていたとおり長谷のみ。ますます快速列車設定の意義が分からなくなります。それよりもたった一駅のみ通過されてしまう長谷ってどんな駅なんだという興味が膨らみます。きっと山中の秘境駅なのでは・・・・。

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▲長谷駅通過の瞬間

寺前を出て一駅、その長谷駅をゆっくりと通過します。交換可能な1面2線の配線の構内が街を見下ろす位置に設けられています。街の規模は想像していたよりもずっと大きく、決して秘境駅などという雰囲気ではありません。
気になる利用者数をwikiで調べると1日の乗車人員は19人(2016年)とあります。非電化区間の他の駅と較べると・・・生野273人、新井(にい)132人、青倉 52人、竹田173人とやはり断トツに少ない。しかし、それだけでわざわざ快速を設定し、通過運転までするでしょうか。なにか深~い事情があるような気もします。


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▲沿線は日本遺産に認定

播但線一の難所生野峠を越え滑り込んだ新井では「銀の馬車道・鉱石の道」の日本遺産認定を祝う横断幕が迎えてくれます。地下アイドルギンザンボーイズが活躍する生野銀山、廃墟マニア注目の神子畑(みこばた)選鉱所、一円電車で知られる明延(あけのべ)鉱山などを構成遺産とする銀の馬車道・鉱石の道、是非ゆっくりと訪ねてみたいものです。公共交通ではアクセスが難しいのが難点ですが。

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▲はまかぜ4号新井通過

新井では列車交換のため数分停車。単線区間のお楽しみの一つであります。やって来たのは浜坂からの特急はまかぜ4号。今日は3両のコンパクトな編成で運転のようです。

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▲竹田駅前には見事な桜が

左手遥か頭上に竹田城跡の石垣を望むと竹田着。古風な駅舎の黒い瓦屋根と満開の桜の古木とのコラボレーションがなんとも見事であります。

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▲円山川が近付くと間もなく和田山

右手に円山川の水面が見えるともう終点和田山はすぐです。堤の桜並木も満開であります。地元の人たちでしょうか、桜を見る会開催中。

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▲姫路側はハニワ顔

15:29終点和田山着。和田山周辺だけで見ることができる珍車キハ41の独特のマスクと対面しておきましょう。キハ47を両運転台に改造したために生まれたハニワ顔です。無骨ですが、愛嬌のある表情です。

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▲桜とキハ

ここ和田山駅でも桜が満開。南側の側線沿いにも見事な桜並木が。
乗り継ぎ時間が9分ありますので下車印をもらおうと改札口を訪ねるも、たった一人の駅員さんは発券作業に懸命の様子。あきらめてホームに下ります。

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▲和田山駅の鉄道遺構

ホーム北側に並ぶのはかつての豊岡機関区和田山支区のものとされる給水塔とレンガ造りの車庫。残しているのか、残っているのかわかりませんが、いったい何時までこの状態なのでしょう。

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▲福知山にたどり着きました

和田山からは223系2連の上り普通列車で山陰本線を辿ります。山の裾野をくねくねとカーブしながら進む車窓を見ていると、かつてDD51が引く旧型客車に揺られて旅した頃を思い出します。
5駅進むのに46分を要し16:24福知山に到着します。

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▲福知山まで来たものの・・・

さて、福知山までやって来ました。相変わらず体調は絶好調!と言いたいところですが、そうは問屋が卸してくれないようです。仕方なく18きっぷの旅は中断します。幸いタイミングよく特急があるようです。

・・・③につづきます。


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平成最後の18旅 ①/新快速Aシート体験乗車 [鉄道の旅]

京阪神快速グリーン車の再来なるか

世の中、令和初のお正月ということで新春ムードもひとしおですが、時が止まっていた当ブログはまだまだ平成を引き摺っております。この記事はそんな平成最後の春のことですので時差にご留意いただきながらお付き合いいただければと思います。

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◆旅のきっかけ

平成31年(2019年)春、私は体調も絶好調というわけでウキウキしておりました。そこへ当ブログ東京特派員から「今度大阪出張があるから新大阪辺りで一杯やろう」との誘いが。断る理由はありません。なにせ絶好調ですから♪
その席で特派員から残り1回分を余した「18きっぷ」を只同然で譲り受けたのでありました。1回なら私にも使いこなせます。久々の18きっぷを手に気分が高まります。
 

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▲東京駅発券の18きっぷ

さて、どこに行こう。ちょうどJRグループ春の新ダイヤ導入直後です。わがJR西日本エリアもおおさか東線の全線開業、奈良・和歌山地区への227系投入など話題は豊富。そんな中私が興味を惹かれたのは「新快速にAシート導入」です。かつての京阪神快速のグリーン車以来の有料座席車に興味津々だったのであります。長らく囁かれ続けたある都市伝説の顛末を確認する意味もありますし・・・・。


◆新快速3449A(新大阪~姫路)

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▲発車標にも「Aシート」の表示(新大阪)

というわけで、春の18きっぷシーズンも最終日となった4月9日、青空の下福知山線川西池田駅で18きっぷに改札印を受け11:22発普通高槻行きに乗り込みます。
Aシート導入とはいえ、まだまだ試行段階なのか連結されているのは数多ある新快速のうち僅か4列車に限られます。そのうち平日の大阪をデイタイムに発車するのは12:00発姫路行き(3449A)のみとあって選択肢はありません。その3449Aを大阪ではなく新大阪で迎え撃つ作戦です。登場後20数日が経っているとはいえまだまだお試し乗車で混雑していることも考えられます。新大阪から乗れば、最悪次の大阪で乗客が入れ替わるタイミングで着席できるだろう、という魂胆です。

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▲大阪発車直後の車内

そんな新大阪ではわずかに2分接続、人混みを掻き分けAシート乗車位置(9号車)にたどり着くと同時にドアが開くという有様。息を切らせて乗り込むとやはりなかなかの盛況。窓側は全て埋まり、通路側も7割の入り。中程まで進み通路側の席にひとまず座ります。

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▲Aシート乗車整理券 3476Mって?

まずは着席できたものの、やはり窓側席を占めたいところ。そんなとき、このAシート乗車整理券が頼もしい味方になってくれます。主のいる座席の背面ポケットに差し込まれた整理券には下車駅が一際大きく表示されています。次の停車駅でどの席が空くか一目瞭然。早速大阪下車の席をマークします。ちなみに私が見た範囲では大阪と姫路が多数を占めていました。

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▲どこで空くかわかります

ということで、乗客の過半数が入れ替わった大阪で無事窓側席に移動、あらためて車内の様子を見てみます。7・8割の座席が埋まった状況。昼時とあって通路を挟んだ反対側では男性2人組が豪勢なお弁当とビールで宴もたけなわ。 一方、前の席ではスーツ姿のビジネスマンがPC開いて仕事に余念がありません。いずれも大型の背面テーブルが良い仕事をしています。

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▲シートカバーにもAシートのロゴ

気になる座席ですが、これはもう毎度おなじみの特急サンダーバード用683系4000番代車が装備しているのとほぼ同一と言って良いでしょう。細かい点ではアームテーブルが省かれ充電用コンセントが設置されています。とはいえ、特急用に較べ車内の造りがガチャガチャしている分、座席が引き立って見えるのは気のせいでしょうか。その他目立つところといえば、木目調に改められた内装と吊革がなくなりすっきりした天井ぐらいです。

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▲春霞に浮かぶ明石海峡大橋を横目に

尼崎が近付いた頃ようやく客室乗務員が回って来て乗車整理券の発券を受けます。500円也。この日は発券・精算専任の客室乗務員が2名と他に本社の背広組らしき男性が1名添乗していましたが、このアナログ感まんてんの精算システムをどうするかが今後のAシート展開の鍵を握る課題の一つでしょう。


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▲姫路到着前の車内

列車は三ノ宮、神戸で多少の入れ替わりを見せた後は降車客がパラパラとあった程度の乗り具合で終点姫路を目指してラストコースを辿ります。


◆京阪神快速グリーン車のこと


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▲終着姫路に到着

リクライニングシートに身を預け播州平野を走っていると、かつて京阪神快速に連結されていたグリーン車のことを思い出します。快速用113系のうち高槻電車区・宮原電車区配置の基本編成8連に1両グリーン車が連結されていました。(網干区の基本編成はグリーン車抜きの7連)。私も当時は未成年ながら岡山の祖父母宅への往来で何度か利用したことがあります。
車両はというと終末期に113系純正グリーン車サロ113が投入されたのを除き主に急行用から格下げされたサロ110、サロ112が充当されていましたが、前者が非リクライニングなのに対し、後者はフルリクライニングと大きな格差がありました。当然私はサロ112贔屓でサロ110には乗らず仕舞いに終わりました。


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▲‘70年代半ば頃の普通列車用グリーン券(車内補充券)
姫路~大阪でも300円だった

そんなグリーン車も乗車率は散々で、日中は空気輸送、ラッシュ時にそこそこ賑わうという程度でした。お陰で数百円の投資で贅沢な空間を楽しめたのですが。
結局快速のグリーン車は国鉄時代の1980年に廃止されてしまいました。

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▲Aシート車外観(姫路)

時は流れて国鉄はJRとなり、質量共に拡充された新快速に人気が集中し混雑が常態化していきます。その頃から「新快速にグリーン車が連結されるらしい」という情報が流れ始めます。時には鉄ちゃんの噂として、またある時には大手メディアの記事として。しかし一向に具体的な動きがないままこの件は都市伝説と化していたのでした。


◆どうなるAシート


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▲乗車位置にもロゴマーク

13:02姫路到着。新大阪から68分の快適な旅も終わりです。Aシートの乗車率は姫路到着時でも50%近くあり、なかなか堅調な需要が窺えます。

それではAシートの今後はどう展開するのでしょうか。2020年春のダイヤ改訂では動きはなさそうですが、JR西日本としては今回の試験導入はもちろん本格実施を前提としてのものと考えているのでしょう。Aシート連結列車の列車番号をMではなくAとして区分しているのも本気度が窺えます。反面、人力頼りの精算システムや予約対応ができないなど大きなハードルを克服する必要もあるでしょう。

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▲Aシート告知ポスター(姫路)

そんな疑問に応えてくれる記事を見付けました。‘20年1月1日付け神戸新聞NEXTによると、JR西日本の長谷川社長がインタービューに応じ「Aシートは、ラッシュ時9割、昼間でも6割とニーズの高さを示しており今後はより多くの新快速に設けたい」と語っています。しかし、そのためには「技術開発による省力化の実現が条件」と、やはり新たな発券・精算システムの構築が課題となっているようです。つまり、今日、明日に答を出せる課題ではないと読み取れます。どうやら「新快速に有料座席車」という都市伝説に最終的な決着が付くのはしばらく先になるようです。


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▲姫路駅名物まねきの「駅そば」

姫路に着きました。相変わらず体調は絶好調、時間はまだ13時過ぎ。遅めの昼食としましょう。姫路駅といえば駅そばですね! 構内営業を担当するまねき食品の名物メニューで和風だしと中華麺を合体させた変わりだね。きつね駅そば、380円也をインバウンド観光客と並んでいただきました。


さて、この後18きっぷでどこに向かいましょうか。

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能勢電からの年賀状 [鉄道の旅]

のせでんから新春のご挨拶

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▲今年も恒例のヘッドマークを掲出(山下)

2020年(令和2年)が明けましたが、皆様三が日をどのように過ごされたでしょうか。私の住む大阪・能勢地方はまだ初雪も降らず暖かなお正月となりました。絶好の初詣日和ということで、私も3日(金)能勢電に詣でて来ました。ありがたいご本尊、初詣ヘッドマークを拝んで来ましたので、皆様にもご利益をお分けしようと思います。

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▲ネズミ年の今年のデザイン

毎年変わるデザインも楽しみの一つ。親会社阪急と共通です。

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▲能勢電から新春のメッセージ

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▲1700系の場合(光風台)

貫通扉にしか表記がない車番を目隠ししないようにサイドにずらして掲出しています。阪急時代優等列車の運用に就いていた頃を思い出させます。
阪急2000系を出自とし還暦を迎えようかというこの車両も5100系、7200系という“新勢力”への置き換えが進んでおります。


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▲5100系の場合(光風台)

5100系の場合は車番が助士席窓にも表示されているので、ど真ん中に掲出しても差し支えありません。 


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▲50型復刻塗装車にも(山下)

妙見線山下ー妙見口間の区間列車、及び日生線線内折り返し列車に使用される5100系2連口のうち旧50型復刻塗装車にも掲出されています。今日の職場は日生線。


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▲山下駅発車標

能勢電のジャンクション山下駅の発車標はホームもコンコースもフラップ式が活躍中。特にコンコースのものは豪華4連版!


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▲妙見口へ

山下から初詣客の様子を見ようと終点妙見口へとやって来ました。なんと言っても能勢電の設立目的は北極星信仰で人気を集めた日蓮宗妙見山への参拝客輸送ですから。

電車はお気に入りの復刻塗装車(1983~1992年版)。
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▲おー、賑わってる!


駅を出ると妙見山の方から駅を目指して人の列ができています。駅前食堂「かめたに」も商売繁盛の様子。普段のデイタイムなら一列車に5人も乗っていればマシな方ですからもう大盛況です。因みに「かめたに」は能勢電「おでん電車」などで料理を提供している名店です。


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▲大阪最北端の駅

駅舎の窓には「大阪最北端の駅」との掲示が。何度も訪れている駅ですが、初めて気付きました。



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▲オールドルーキーで下山します

能勢電詣でも無事終了、オールドルーキー5100系で山を下ることにします。

こうして能勢電のご利益をたっぷりといただいた今年の初詣も無事終了です。記事アップもどうにか三が日中に間に合いました。
どうか本年が平穏な1年となりますように。

タグ:能勢電鉄
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トワイライトの旅1990 余話 [鉄道の旅]

北海道の鉄旅の思ひ出を・・・・

「追想 トワイライトエクスプレスの旅 1990」 からの続きです。

今回も前記事同様、紙焼写真を披露しながらの冬の北海道乗り鉄記事です。まあ、紙芝居気分でお付き合い下さい。

トワイライトで札幌に着いた後のことをご紹介しようと思うのですが、この頃の私は「記録よりも記憶」というどこぞの文化人の言葉に洗脳されており、ろくに記録が残っておりません。記憶したはずの事柄も脳内のメモリが低品質なこともあって多くが消えてしまっております。従って時間や列車名が曖昧であることを始めにお断りしておきます。記録って大事ですよね~。

石勝線は恨むが如し

後ろ髪を引かれる思いでトワイライトを見送った後は石勝線乗りつぶしに向かうべく特急「おおぞら」乗車を予定しておりました。ところが直近の「おおぞら」の自由席は座れず。1本見送って捲土重来を期しますが、目の前に停まったのはなんとキハ184! 機械室を設置しているため座席が少ない車両です。お陰で同行のN君(←鉄分濃い目の一般人)ともどもあり付けたのは通路側の席という有様で取りあえず石勝線完乗。トホホ・・・・。

鈍行で辿る根室本線

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石勝線の後は根室本線で滝川へ北上しますが、そんなこんなで当初予定の帯広まで行かず新得から引き返すことに。待合室で時間をつぶし、やって来た鈍行に乗り込みます。車両は今も変らぬキハ40。まだJR北海道カラーにはなっておらず、国鉄時代のタラコのままでした。最近先祖帰りで再びタラコに戻っているようですが。
滝川への途中、長時間停車したのが東鹿越の駅。暇つぶしの記念撮影の図がこの写真。上着も着ずに寒そうに見えますが、ご存知のとおり北海道の列車内は強力な暖房が効いています。しばし寒風に晒されるのも心地良かったと記憶しています。

711系と記念撮影

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終点滝川に着いたのは日も暮れた頃になったようです。ここでも記念撮影を。隣に見えるは真っ赤な711系。北海道の電化区間のヌシですな。長らく国鉄在来線唯一の交流専用電車ということもあって、初めての渡道の際には最も注目していた車両ですが、乗ってみると交流専用だからどうということもなく、大した感動もなかったように思います。このとき既に赤地に白帯を纏っていますが、私は登場当初のワインレッドの方がしっくり来るような気がします。その711系もこの度のダイヤ改訂で遂に完全撤退してしまったとか。1両も保存されないのかなあ?
ところで、この後札幌に向かったのですが、時間的にみてこの711系に乗ったとは思えません。おそらく「ライラック」でもとばしたのでは、と思いますが、全く記憶にございません。N君にでも訊いてみないといけませんね。

北の迎賓館

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そして、この日の宿は憧れの札幌グランドホテル! 北の迎賓館と称される老舗です。過去何度か宿泊を試みましたが、生憎と満室に当ってしまい果たせずにいたホテルでした。今回はやっと念願かなってレトロ調のインテリアが渋い本館の客室を予約したのでありました。
この頃の札幌グランドのロビーは極端なまでに絞った照明が印象的でした。そもそもホテルのロビーは顔が指さないように照明は落としていたものですが、このホテルは特に暗く、大人のムードまんてんの空間でした。ロビーに待機するスラッと長身のベルガールさんも格好良かったなあ。今は変っているんでしょうね・・・・。

小樽のすしよ

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翌日は、お寿司を食べたい!というN君の希望で小樽へ。ところが、N君が目星を付けていた店がどうしても見つからず。結局、通りすがりの寿司屋街の店に入ったように思います。
小樽の町を散歩して・・・ ♪粉雪舞い散る小樽の駅に~♪ とロマンチカのメロディがグルグル回る。
小樽からは721系の快速で再び札幌へと舞い戻ります。札幌まで座れず。
雪まみれの721系の顔がいかにも冬の北海道ですな。

帰路は益々混沌と・・・・

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札幌駅でさらに奥地を目指すN君と別れ横浜への帰路に就きます。まずは特急「北斗」で函館へ。「おおぞら」の轍を踏むまいと指定席を押さえたようです。そういえば、一時期こんな色のキハ183系もありましたね。
道中なぜか車内照明が消えた下り「北斗」を見かけたこと以外なんの記憶もないまま深夜の函館着。駅前の函館ハーバービューホテル(現ロワジールホテル函館→フォーポイントバイシェラトン函館)に投宿。
翌朝は、快速「海峡」、特急「はつかり」、特急「やまびこ」と乗り継いで仙台からは特急「スーパーひたち」で一気に上野を目指します。651系の乗り心地をたっぷりと楽しみながら。もう二度とこのときの常磐線を辿ることはできません。

当ブログでは日頃ご紹介することもない北海道の旅が2話続きましたが、学生時代の1980年代から関東在住だった1990年代前半にかけては毎冬のように北海道に渡っていたものです。「北風が俺を呼んでるぜ」、ってな感じで。(←小林旭気取り)
最後の渡道から既に10年。もう一度だけ北海道の北風に吹かれてみたいもんです。


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追想 トワイライトエクスプレスの旅 1990 [鉄道の旅]

夢の列車トワイライトエクスプレス

大阪駅の発車標に灯る「札幌」の文字、世紀の大事業青函トンネルの存在を遥か1000km以上離れた大阪でも実感できる一シーンです。その札幌へと導いてくれるのが特急「トワイライトエクスプレス」。津軽海峡を越え大阪―札幌間1500km近くをおよそ22時間かけて結ぶ正に夢の列車です。
今日は、この夢の列車に乗ったときの思い出話にお付き合いいただければと思います。

時は1990年1月12日。トワイライトが臨時ながら一般の列車として寝台券をみどりの窓口で購入できるようになったのが1989年の12月ですから正に運転開始当初に乗ったわけです。
この夢の列車に是非乗りたい!というN君(←鉄分濃い目の一般人)と乗車を画策、1ヶ月前に手分けして寝台券入手に挑みます。当時東京在勤だった私は東京駅八重洲口のみどりの窓口へ。入手できたのはBコンパート。一方、職場出入りの旅行代理店を巻き込んだN君は首尾よくB個室ツインをゲット、もちろんツインを生かします。
というわけで、1月11日、仕事をなんとか片付け夜遅い新幹線で一旦大阪の実家に戻り翌朝大阪駅から出発と相成ったのであります。

ここからはその時の紙焼写真をお目にかけながら追想に耽りたいと思います。私の姿も無修正で晒しております。25年も前のことなので今の姿は想像もできないかと。お目汚しですが、ご辛抱下さい。

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夢の列車との初対面
このエクステリアデザインには正直言って面喰いました。鉄道雑誌上で見たときには軍用列車かと思ったもんです。
大阪駅は10番線からの発車と変化が無いようにみえますが、今の10番線とは異なります。大改造工事でこの付近の姿はすっかり変わっております。
それにしても人影が少ないですね。

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遥かな旅立ちを前に緊張と期待が入り交じったワンカット。
国鉄様式の駅名標が懐かしいですね。JR発足後3年目のことです。
方向幕の「札幌」の文字に気持も高ぶります。
手にはカフェイン中毒者の必需品、缶コーヒーを持っています。

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大阪駅のホームにも「札幌」の文字!
この表示に鉄道ファンでなくても北への旅情を掻き立てられた人は決して少なくないと思います。
この頃のJRグループにはまだまだ連帯意識が残っていたんですね。
LEDの発車標も初期のもの。「特急 トワイライト 12:00 札幌」と情報量も少ないです。列車名も短縮しての表示。
大阪発車時刻は12:00でした。

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サロンカー「Salon du Nord」での寛ぎのひと時
就寝時と夕食時以外はほとんどここに居たと思います。せっかくのツインですが、個室は悲しいかな反対側の景色が見えません。その点、サロンカーは特大の窓越しに沿線のパノラマを存分に楽しめます。残念だったのはビデオモニターから大音量で流れて来る音声です。なにやら子供向けのコンテンツでガキども子供たちが面白がってボリュームを上げていたのでした。この列車のコンセプトには合わない装備だなあ、と思ったもんです。
インテリアは2001年頃のリニューアルで木目調のシックなデザインに変更されています。

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夕食は特製御弁当
バブル絶頂期とはいえ、さすがに食堂車でのディナーには手が出ませんでした。大阪発車直後、車内放送で夕食のお弁当の注文を受け付けに係員が車内を回る旨案内がありました。確か1500円だったかと。中身は、カニの甲羅に入ったグラタン以外は印象に残っていません。ただ、注文の受付係は一度しか回って来ず、このチャンスを逃すと悲惨な夕食難民となってしまいます。停車時間の長い駅では食料を求めてホームを走り回る難民たちの姿が見られました。この供食体制も後に改善されたのではないかと思います。

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B個室ツイン
真っ白な車窓からお分かりのとおり翌朝北海道上陸後の一コマです。2段ベッドが設えられただけのシンプルな室内ですが、広さは十分でした。下段寝台はソファ使用時、寝台使用時ともに快適だったように思います。

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食堂車「Diner Pleiades」の朝食予約券
ディナーは無理でも朝食は予算的にも射程距離内ということで前夜に予約をしておきました。洋定食はジュース、ハムエッグ、サラダ、パン、コーヒー。2000円だったかな。雪景色を楽しみながらの朝食は格別でした。これが結果的には私にとって唯一の食堂車での朝食体験となりました。
食堂車は前夜、ディナー終了後のパブタイムにも利用しましたが、アルコールが入ったためか詳しい記憶は残っていません。

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札幌到着前に通路で。
夢の列車ではありますが、内装はアルミ素材剥き出しの建材が目立ちプレハブ然としています。これもリニューアルでかなり見映えが良くなったようです。

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北の都札幌に到着。
雪にもめげず定刻9:02(だったと思う)、高架化成った札幌駅に到着です。学生時代=地平駅時代には何度も訪れた札幌駅の変わり様に驚きました。

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Salon du Nord とともに。
すっかり馴染んだSalon du Nord とも、トワイライトエクスプレスとも名残を惜しみつつお別れです。

20数時間もの長丁場を一時も飽きさせることなく大阪から札幌へと豊かな旅情を惜しみなく提供してくれたトワイライトエクスプレス。その名は、私の記憶にも、日本の鉄道史にも永く刻まれることと信じて止みません。


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クラシック近鉄特急が往く [鉄道の旅]

近鉄特急のアイデンティティを感じる旅

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近鉄吉野線もめでたく完乗し、帰路は近鉄特急に乗ろうと思います。久し振りの近鉄特急、今回のお楽しみの一つでもありました。
14:22吉野駅に到着し、折り返しは14:34の特急でと思っていましたが、車両は生憎16600系でした。近鉄の汎用特急車の最新バージョン、Aceと呼ばれる車両の狭軌版です。新車好きを自認する私としては本来喜んで乗るべき車両ではありますが、今回狙っていたのは別の車両です。乗りたかったのは16000系、そう吉野特急では最古参の車両です。

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▲丁寧に使われていることが窺えるツヤツヤの車体

現在の近鉄特急のラインナップでは頂点に君臨する「しまかぜ」、名阪間の花形アーバンライナーなどと較べると16000系はデビュー後既に半世紀、本来ならハズレといわれても仕方のない車両です。近鉄の異端である狭軌線の吉野特急においても「さくらライナー」(26000系)、Ace(16600系)、ACE(16400系)、サニーカー(16010系)といった後輩たちと較べると16000系は確かに骨董品的存在です。なにしろ標準軌で同世代の新エースカー(11400系)はとっくに引退していますから。16000系も既に初期の車両は廃車、或いは大井川鉄道に譲渡されており残るは3編成。吉野に来るまでの間すれ違う特急も新型車両ばかりで16000系がもはや主役の座を失っていることが窺えました。しかし、私は、この16000系世代の特急車には近鉄特急草創期のアイデンティティを強く感じるのであります。それ故、今回乗るなら16000系と心に決めていたのであります。

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▲杉の産地らしい駅名標

1本見送ったがために駅前の茶店で想い出に残るコーヒーブレークを過ごして吉野駅に戻って来ました。(←前記事ご参照) 薄暗いホームからこちらに顔を向けているのは正にその16000系。窓口で阿部野橋までの乗車券、特急券1480円也を購入、はやる気持を抑えつつ改札を抜けます。

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▲ホームにはベテランの顔が

吉野特急というと「さくらライナー」を除いて2連のコンパクトな姿を思い浮かべますが、目の前にいるのは希少な4両固定編成です。9編成製造された16000系のうち4両固定編成で登場したのは唯一この16008Fだけなんだそうです。

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▲行先標には「京都連絡」の文字が

ピカピカのボディは車齢を感じさせないほど美しくメンテが施されています。側面から屋根にかけてのカーブは優美なラインを描き上品な印象を与えます。そして、屋根上にずらりと並ぶ小型の冷房装置と大型固定窓は近鉄特急車の証。しかし、特急車としてはなんとも飾り気のないマスクはさすがに時代を感じさせます。今時の車両なら標準装備の種別・行先の表示装置もなく、種別は電照式のヘッドマーク、行先は助士席窓に行先標が表示されているだけ。側面には号車札と座席番号表示がペイントされているだけです。特急表示、私は以前の扇形の方が好きなんですけど・・・・。

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▲スリムな折り戸に特急らしさが

そして、なにより近鉄特急車らしさを感じさせるのは言うまでもなくボディに纏った濃青と橙ツートンの近鉄特急色でしょう。国鉄特急色と並ぶ昭和の鉄道車両におけるエクステリアデザインの傑作だと思います。
前置きが長くなってしまいました。そろそろ車内に入りましょう。これも今時にしては珍しい折り戸に迎えられて乗車します。


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▲リクライニングシートがずらりと並ぶ客室

車内はリクライニングシートが整然と並ぶオーソドックスな造り。抜本的な更新工事が行なわれたのかくたびれた感じは全くありません。実は私が初めて乗った有料特急というのがこの16000系。私は幼稚園児、16000系がデビュー間もない頃のことです。エンジ色のシートに掛かった真っ白なカバーがなんとも贅沢な印象でした。現在のインテリアはその頃と比べるとソフトな感じに改められています。
そして、なによりも変わったのがデッキの設置。新製当時は他の近鉄特急車同様ドア部分と客席に仕切りがないデッキレス構造でした。流石に不評なのかスナックカーなどとともにデッキが設置されデッキレスは消滅しました。平成の御代に入ってデッキレス特急を新造したJR某社もありますが。


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▲ピッチが広い最前列のシート

デッキレスの名残か最前列の座席はやたらとピッチが広いのが目立ちます。新幹線などでこの座席に当ると足が投げ出せず窮屈な思いをするもんですが。
指定された1号車のシートに着席すると掛け心地はやや柔らかめ。最近の固めのシートに慣れている身には少々頼りなく感じますが、悪くはありません。テーブルはアームレストに収納されており、背面テーブルは装備していません。これもかつての近鉄特急のアイデンティティですが、最近の車両には設置されているようです。


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▲シートカバーは使い捨て?

15:04、静かに吉野駅を発車。私が乗った1号車には他に1名だけという有様。まあ、吉野駅の閑散とした状況から十分に想像はできましたが、乗り物というのはやはりある程度の賑わいがないと様にならないですね。この後の停車駅に期待しましょう。

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▲吉野口で僚友と顔合わせ

その停車駅ですが、吉野線内はやたらと停まります。吉野―橿原神宮前間の14駅のうち通過するのはわずかに6駅だけ。隔駅停車どころではありません。おまけに曲線の多い線形に阻まれてかスピードはさっぱり上がらず。橿原神宮前までの25km弱を39分かけて辿ります。
橿原神宮前では「京都連絡」だけあって京都行き特急に乗り換えるのか大きな荷物を抱えた人が2名ほど下車。かわって乗り込んで来た少年が「またコイツや・・・」と古参車両に不満そうであります。


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▲駒ヶ谷駅前にはチョーヤ梅酒本社が

南大阪線に入ってからはうって変わって特急らしい走りに。リクライニングシートに身を預け静かに響く直流モーターの唸りに耳を傾けます。高田市、尺土と停車すると後は終点大阪阿部野橋まで約30分ノンストップ。
大阪との府県境を越えると車窓にはブドウ畑が目立ち始めます。あまり知られていませんが、大阪府はかつてブドウの栽培面積日本一だったこともあるブドウの名産地。今も河内ワインは根強い人気があるそうです。そんな土地柄を象徴する会社が駒ヶ谷駅前にあります。チョーヤ梅酒㈱。今では梅酒のブランドとしてお馴染みですが、発祥はブドウ酒メーカーです。


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▲大阪市内の高架線を快走(今川)

車両基地があり長野線が合流する古市を過ぎると車窓は住宅と工場で埋め尽くされます。藤井寺、松原は現役時代中河内地区の営業を担当していたこともある私にとっては懐かしい土地でもあります。大阪市内に入り高架線を快調にとばしあべのハルカスが見えるともう終着阿部野橋、ハルカスの根本に吸い込まれるようにして1時間17分の近鉄特急の旅が終ります。
16:21、大阪阿部野橋着。


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▲折り返し再び吉野へ

降りようとして席を立ってびっくり、1号車の乗客は十数人と思っていたのですが、通路にはずらりと行列が。先頭車寄りにある改札口を目指して後方の車両の乗客が1号車のドアに詰め掛けているんでしょうが、意外に多くの利用客が乗っていたのに驚いたのです。オフシーズンの吉野特急にもそれなりの需要があるわけですね。

近鉄は特急網の再構築を経営戦略に挙げています。目減り傾向にある通勤輸送に替わって特急網を充実させ利用者の増加を図るんだそうです。もちろん車両更新も戦術の一つとして計画されていることでしょう。そうなれば真っ先に淘汰されるのは標準軌線では元スナックカー、狭軌線ではこの16000系と考えて間違いありません。もはや風前の灯となった国鉄型特急同様、近鉄特急網の構築を支えて来た車両たちの去就からも目が離せません。


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